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都民がつくる革新都政
会の機関紙「都民がつくる革新都政」2011年5月15日発行
総力!東日本大震災
支援・復興 脱原発 危機回避
いのちを守る新しい福祉・防災都市東京の実現をめざして
 未曽有の大地震・津波・原発事故から2カ月。1万5千人超の死者、1万人近くの行方不明、そして11万6千人が避難所に身を寄せています。 いま、被災者の声に応えた生活・地域社会の再建は、この国の在り方のかかった緊急で最重要の課題です。
 石原都知事の4期目が4月23日から始まりました。くらし、いのちを守る自治体の任務と仕事の重要さは増すばかりです。地方自治を破壊してきた「構造改革」路線では住民のいのちを守ることができないことが誰の目にも明らかになりました。「革新都政をつくる会」は、都知事選の総括をすすめるとともに、都知事選で掲げた「新しい福祉・防災都市東京」の実現めざし、新たなスタートを切ります。

医療支援と地域への生活支援が重要
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大地震・大津波で打ち上げられ、転覆した船舶=福島県「小名浜港」
 4月11日から1週間、いわき市にある福島県民医連の小名浜生協病院へ看護業務の支援要請に応え、小名浜クリニックで採血、注射などの処置業務を行いました。この地域は3月11日の大震災時から断水状態で、自衛隊の給水車につい先日まで頼っていました。
 夕方5時20分過ぎ、帰るために車のエンジンをかけたとたん、震度6弱の余震が発生。直後は雷と急な雨。信号の無い交差点の怖さも体験。翌日はいいお天気になり、クリニックでは患者さんもだいぶ戻っています。診療中の午後2時過ぎにいきなり地面から突き上げるような震度6弱の余震が発生。昨日同様、福島沿岸が震源地とのこと。直下型の地震とはすごいものと体感しました。
 14日に夜勤明けの看護師さんが車で被災場所を案内してくれました。はじめに小浜港へ。小さな漁港ですが、津波の被害は大きく小船が転覆したままです。倒壊した家々。一生懸命後片付けをしていますが、はかどらない様子。次はいわき市最大の観光施設であるマリンパークから小名浜港へ。道路や敷地は液状化現象。魚の加工場や海産物店舗も津波により全壊。産業道路(片道3車線)も津波をかぶり、道路沿いの店舗や会社が大きな被害を受けました。数日間は巨大なタンカーの上部(鉄の塊)や膨大な数の車が道路上に流されたままだったそうです。
 小名浜港の先は小さな集落が海岸沿いに多数あります。中でも豊間という地域は200世帯程の小さな地区。そのうち半数以上が津波で全壊。通院していた患者もいて、目の前で孫が流されてしまい、外来に来られた際に「俺がやられればよかったよ」と泣いて話していたそうです。多くの患者や家族が地震や津波の被害をうけています。再度の余震で断水になったり停電が続いている方も。糖尿病の患者は脱水の方が多く、不眠、食欲不振、不安等で高齢の患者が特に打撃を受けています。
 メディアでは福島第一原発事故の報道が主で、いわき市の津波被害はこちらに来るまで分かりませんでした。今後は医療支援と地域の方々への生活支援が重要となっていくと思います。民医連として私たちに出来ることを共に頑張りましょう。【東京民医連看護師・工藤貴美子】

東日本大震災 東京でもその影響継続
 3月11日発生した東日本大地震は東京でも地震による直接的な影響と合わせて経済活動の低下は、「見通しがたたない」「お客がまったくこない」という深刻な状況を生み出しています。建設関係では仕事があるのに資材が仕入らない。飲食関係は特にやっていけなくなり廃業する店が増えています。震災当初の計画停電の影響、ガソリン価格の値上げ、自粛ムードの中で、多くの業種にわたって影響が出ています。各地の民商では、「地震の被害、影響はありませんでしたか」「商売はどうですか」の声かけ、集まって話し合うことが取り組まれ、「被害状況アンケート」や地域への「なんでも相談会」が開催されました。被災地支援で、救援募金が会内、また街頭に出ての訴えで大きく広がり、救援物資が呼びかけられ、寄せられ、現地に届いています。全都の民商からの救援募金は500万円を超えています。
 東京でも直接的な被害を受けた中小業者に対し、東京都といくつかの自治体で「災害復旧資金」が実施され、民商では、罹災証明の発行などでの柔軟的対応を求め、自治体交渉をおこなってきました。東日本大震災の影響を受けた中小企業は、借金返済が滞っても「不良債権」にしないと金融庁が発表した情報などを集まって話し合い、互いに商売を守ろうと頑張っています。
 この間、県連として被災地宮城県の民商に継続的に人を支援派遣し、ニュースと情報を送ってもらい、全都の民商に伝えています。
 こうした救援活動、仲間同士の助け合いを広げるとともに、復興財源をめぐり、「復興税」など庶民増税でまかなう案が取りざたされるなか、消費税増税は被災者にも容赦なく負担を強要し事業と生活の再建を妨げること、景気を底から冷やし営業と生活をますまかす困窮させるもの、として全国の仲間とともに署名、国会要請行動に取り組んでいます。【東商連事務局長・工藤勝人】

4・16サヨナラ原発デモ“東電は野菜にも謝罪しろ”
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原発野菜デモ
 4月16日、PARCが主催した「野菜にも一言いわせて! さよなら原発デモ!!」に参加しました。3月11日の東日本大震災後、原発事故が起こり、放射能漏れが報道された結果、福島県・茨城県などの農民、漁民は収穫物の出荷ができなくなりました。農民、漁民と同時に、収穫をするために一生懸命に育てた野菜や動物、魚たちにも風評被害は広がっています。その声なき声を代弁するためのデモ行進が行われました。
 デモ行進に先立ち行われた集会では、成田で農業を営む若者は、「デモ参加を周囲に呼びかけたが、“そんなことをして何の意味があるのか”という反応をされた。だけど、原発をつくる際には膨大な時間とお金がかかっている。逆に原発を止めさせる時にも、同じように膨大な時間がかかるはずだ。長くかかるだろうが、脱原発を訴え続けて行くしかない」という発言をしました。反原発・卒原発という運動は一過性のものではなく、継続して取り組む必要があります。そのことを改めて考えさせられる発言でした。
 渋谷の神宮通公園を出発したデモ隊が最初にぶつかるのは、東京電力の「電力館」(現在休館中)。道路からはデモ隊による「原発いらない!野菜が食べたい!」「東電は野菜にも謝罪しろ!」などのシュプレヒコールが飛び交い、沿道を歩く人々の注目を集めました。デモ隊には子どもたちも参加し、この問題を広く伝えていく必要性を感じました。【首都圏青年ユニオン 山田真吾】
 
「町民の会」川島まさふみ町長が誕生
町民の利益第一に党派を超えて
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大島町町長
川島まさふみ氏
 前町長は、町役場庁舎に隣接する民間ホテル跡地を所有者と一部業者の要望を受け、「公共駐車場・多目的広場」整備のため、として1億6900万円(3・3平方メートル約19万円)で取得、整備費5900万円総事業費2億2800万円を提案、町議会(共産3、公明2、自民1、無所属10)は、共産党町議団などが反対しましたが、賛成多数で可決してしまいました。こうした事態に住民が立ち上がったのです。
 2010年1月、住民有志が「住民説明会を求める会」を組織、「住民に全く知らせず、こんな税金の使い方を許せない、町は住民説明会を開け」と署名活動を展開、短期間に約2000筆(有権者比28%)を集め説明会を実現させ、かつてない250人の住民が参加しました。

 「町民の会」が川島氏を擁立
 「説明会を求める会」は、その後、NPO法人「住みよい大島を創る会」と改組されましたが、会の有志を中心に広範な住民から、「いまこそ住民の利益優先の新しい町政をめざし、川島まさふみさんに町長に立候補してもらおう」と、熱心に出馬を要請、川島氏が熟慮の末、受け入れたのは11年1月下旬のこと。すでに有力4予定候補は、動きを強めていました。
 遅れを取り戻そうと、川島氏の選挙母体「新しい大島をめざす町民の会」(略称「町民の会」)が急きょ組織されました。会は、川島氏の友人、知人、親戚が中心で、選挙は未経験のものばかり。他陣営から「川島は無所属というが正体は共産党。『町民の会は』は隠れ蓑」「共産党が町長になったら金も仕事も=公共事業も来ない」との宣伝に金縛りにあったり、直前の都知事選で石原新太郎氏が2900票、小池晃氏が531票と大差をつけられ、「これで川島に勝てる」と他陣営の活発な動きに気押されながらも、「4期16年の町議としての豊かな経験と指導力、論戦力もったリーダーは川島しかいない、がんばれば勝てる」と、気を引き締め、告示2日目には川島演説会を開催、300人の参加で成功を勝ちとり、「町民の会」は勝利への確信を深めました。また、2回の政策全戸配布、支持を広げる活動に全力で挑戦、こうして予想以上の600票差で勝利を勝ち取ったのです。

 島は変わる
 島は「地縁、血縁」を中心とした「しがらみ社会」ですが、本土から移住者も多く、少しずつ変わってきています。住民がそれを乗り越え、勇気をもって立ち上がったことは「住民自治」への第一歩として頼もしく思います。住民からは、「小さな声も届く町政に期待」「町長と一緒に老いも若きも安心してすめる島づくりを 進めよう」と期待と応援の声が多く聞かれます。島は着実に変わっていく、私の確信です。【時得孝良・大島町議会議員】
 
くらしと雇用・憲法・平和守れのとりくみ
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 5月1日、第82回メーデーが、岩手、宮城、福島の被災県や被災地をはじめ、全国各地で開催されました。代々木公園で開かれた中央メーデーには2万1000人が参加。「被災者救援・復興支援 くらしと雇用を守れ」「今こそ大企業のため込み利益を復興へ」のメインスローガンが中央看板に掲げられ、「大震災からの復興を」「ルールある経済社会を」などと書かれた横断幕やデコレーション、プラカードでアピールしました。【写真上】
 憲法施行から64年を迎えた5月3日、全国各地で「憲法を守り安心して暮せる日本を」「憲法を生かして東日本大震災の被災地復興を」と、集会や街角トークが行われました。東京では「東日本大震災の被災者に心を寄せ 生かそう憲法 輝け9条」と題して「憲法集会」が日比谷公会堂で開かれ、2800人が参加しました。集会後、思い思いの言葉を書いたプラカードや旗を手に銀座パレードが行われました。【写真中】
 「歩こう 核兵器のない世界へ」をテーマに「2011年国民平和大行進」(東京―広島コース)が5月6日、江東区の夢の島から出発しました。第五福竜丸展示館前で開かれた出発集会には700人が参加しました。今年の平和行進は、東日本大震災被災者救援・復興を呼びかけながらすすめられます。【写真下】
 
被災地から来た子どもと共に
5・26学習報告会
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東京の避難所「味の素スタジアム」
 東日本大震災、福島第一原発の事故により、多くの人が避難を余儀なくされています。
 1千名を越える子どもたちが、被災地から東京の学校に不安を抱えながら転入してきています。余震や原発事故の不安を募らせている東京の子どもたちもいます。
 学校や地域はどうすべきか、子どもたちの心のケアはどうしたらいいのか、「東日本大震災 被災地から来た子どもとともに」、学校を安全と安心の拠点に‐緊急学習報告会が5月26日(木)夜・千代田区・エデュカス東京7階ホールで行われます。主催は、東京都教職員組合・東京都障害児学校教職員組合・子どもの貧困と格差から守る連絡会です。
 「被災地から来た子どもの受け入れ方、関わり方〜子どもたちの心のケアと必要な支援〜」と題し、阿部利恵さん(臨床心理士・スクールカウンセラー)がお話をします。

◇◇──◇◇

子どもの心のケアのために「今は安全だよ」と伝えてあげる

○頭が痛いお腹が痛い、気持ちが悪い、など体調が悪い
○朝起きられない、身体がだるい
○食欲がなくなったり、過剰に食べたりする
○なかなか集中できない。ぼうっとしている
○怒りっぽくなったり、いらいらしている
○神経がはっていて、ちょっとしたことにも過剰に反応する
○気持ちが落ち込む
○口数が減ったり、表情が暗い
○口数が多く、元気いっぱいに見える
○余震、暗闇を極端に怖がる

 こうしたことは、大きなショックを受けたときに起こる正常な心と体の反応
です。見守り、受け入れてあげましょう。(阿部利恵さんが出した資料「被災・避難生徒受け入れについて」より)
 
津波の被害が目を覆うような状態で拡がる
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岩手県陸前高田市・長部地区に復興支援のボランティア活動に取組む自治労連の人々
 東京自治労連は自治労連方針に基づき、陸前高田に復興支援のボランティア活動に取り組んでいます。当面、5月末まで本部として6次にわたり責任者を配置、単組などが積極的にボランティアを派遣しています。
 支援センターまでは被災の影はまったく見えませんでした。ところが、災害ボランティアセンターへ向かうために一歩出ると、そこには津波による被害が目覆うような状態で拡がりました。陸前高田の長部地区は津波の被害がひどいのですが、行政の手というのは建物が全壊したところには届いている一方、半壊したような建物には差し伸べきれていないのが現状。自治労連はこの周辺の家庭を訪問し、聞き取りを行い、住人の方の依頼に基づき、ボランティァに必要な人数をそろえ、活動に入るという取組みも行いました。
 近くの水産会社が津波により被災したため、1300トンのサンマなどが流れ、腐敗してしまっているこれらの魚の処分はひどい臭いの中、なかなか進んでいませんでした。自治労連は、この仕事に率先して取り組んでいます。こうした取組みにより、信頼を得て、今では長部地区のことは自治労連が任されているという状況になりました。
 この地域は家屋の倒壊など激しく、陸前高田でも最悪な地域だそうです。瓦礫や泥の撤去をしながら、腐った魚は一輪車で集めて集積所へ運搬し、道路から家屋までの通路を確保しましたが、当初2・3週間作業を要するという見込みを、水産加工業者や大量のボランティアによりGW中の完了目途がたちました。
 それにしても東北人の口は重い。たびたび避難所を訪ね、避難されている方々とお話をする中で、ようやくボランティアに対する仕事の依頼をいただくことができるのが現実です。
 東京自治労連は6月以降の取組みについても方針化し、被災地の皆さんとともに住民本位の復興をめざし、取り組んでいく決意です。【東京自治労連書記長・森田稔】
 
青い空
 「誰も悪いことをしないのに、こんな酷い目にあって……」痩せた牛の背をなでさすり涙をぬぐう人、仮校舎での入卒業式にすすり泣きながら「希望」の唄を歌う子ら、流れる映像に共に泣きながら、もう2ヶ月たちました▼大地震、大津波、原発、放射線量による予想外被災、4重苦、5重苦が走る日本列島。いま人々は必死に「生きる」明日を探り始めています▼被災地の人々は「故郷に帰りたい」「元の所で働いていきたい」近所付合いの和みを取り戻したい。それは上からの青写真ではなく、樹木の茂った山。豊饒な海。それを糧に支え合う街づくりへと思いを馳せます。岩手県はその心を深く受けとめて、復興の基本を二点に据えています。一つは「幸福権」、二つは「犠牲者の思卿の念」と▼私は、ふと岩手県に生まれ育った石川啄木を想い、その思想の根づきを直感しました。“故郷の山を思へばひと茎の草の葉さへも親しまれつつ”啄木は「故郷を想うことは単なる感情ではない。人は誰でも故郷を想う権利がある」と。山を削り減反を強い、原子力発電所を無計画に押し進めた「利潤第一」主義は少し色がさめ始めました▼憲法25条も9条もいきづく街を求めて21世紀の歴史が青葉の中にそよぎはじめています。(中)
 
 
 
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