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都民がつくる革新都政
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会の機関紙「都民がつくる革新都政」2010年4月15日発行
都民の声に背を向ける石原都政
広がるいのち・子ども・くらしを守る都政への転換の声
都立3小児病院再開、築地市場を守れ
都民のくらしが深刻さを増す中で開催された都議会第1回定例会(2月24日〜3月30日)は、焦点となっている築地市場移転問題や都立3小児病院の存続など、くらし、福祉、雇用、営業、教育に手厚い支援を求める都民の叫びに、都政・都議会がいかに応えるのかが問われました。
2010年度東京都予算編成をめぐって都民要求実現をめざした第1回定例会が3月30日閉会しました。今次定例会は、石原都政3期目の事実上最後の予算編成であると同時に、昨年の都議選・総選挙で都民が求めた新しい政治の流れに都政が変わることを都民が求める中で行われました。
築地、豊洲移転ノー
食の安全、現在地再整備を
築地市場の豊洲移転反対の行進に参加した民主・共産党の代表=09年6月27日、築地市場前
最大の焦点となった築地市場豊洲移転問題について東京都は、専門家からも信用できないと指摘されている土壌汚染対策の「適用実験」なるものをもって「無害化できることが実証された」との中間報告をおこない、豊洲移転をあくまでも進める強硬な態度をとり続けました。しかし、都民世論は、食の安全に不安のある有害物質の埋まる豊洲の東京ガス工場跡地への移転には反対です。都議会民主党には、都民への公約にもとづいて都側の築地市場移転を転換させることが求められました。共産党は移転予算を削除する修正案を公表し、一致点での共同を呼びかけました。しかし民主党は、豊洲の用地取得のための予算案に修正案を出さず、付帯決議などを条件に「妥協」(3/28東京新聞)、自民・公明党といっしょになって築地市場移転予算を可決しました。民主党は、「知事の方針転換」としていますが、都側は「豊洲移転が最適」との立場を変えておらず、都民の厳しい批判の声があがっています。
子どもの命まもれ!
都立3小児病院の再開を
都立3小児病院廃止抗議と再開求める座り込み=3月30日、都議会最終日都庁前
子どもを守る都立小児病院を存続してほしいと願う都民の声が広がるなかで、東京都は今都議会中の3月16日付で都立3小児病院の廃止を強行しました。都は3小児病院を廃止しても、「統合」した小児総合医療センター(府中市)が代替すると説明してきましたが、地域医療や小児救急体制への不安が広がっています。また廃止された病院の患者の中には、転院先が見つからず治療に影響がではじめた人たちもうまれています。
都議会開会中、厳しい寒さの都庁前で清瀬・八王子・梅が丘の3小児病院の廃止に抗議し、再開を求める都民や患者家族・病院関係者の座り込みが連日のように続けられました。存続を求める都民世論は、さらに広がっています。今議会に提出された小児病院存続を求める陳情は、6月議会で審査されることになりました。運動の先頭に立ってたたかってきた「東京の保健・衛生・医療の充実を求める連絡会」は、子どもの命を守るため、3小児病院の診療再開を求めてさらに運動を強めると表明しています。
都議会民主党、公約違反
都民の声にしたがえ
昨年の都議選で都立3小児病院の存続を訴えた民主党は、昨年の12月都議会で廃止容認に態度を変え、都民の期待を裏切り厳しい批判を浴びています。加えて今議会でも、築地市場移転を前提とする予算に賛成し、「築地市場の移転に民主党はノー」の公約を破りました。都民の世論に背を向けて、かたくなに豊洲移転を推進する石原都政と自民・公明党はもとより、都議選公約を投げ捨てた民主党に都民の怒りの声があがっています。
くらし、福祉優先
都民が大切にされる都政を
今都議会では、くらし・都民生活をめぐる多くの課題が熱い焦点となりました。
ネットカフェ利用者に本人確認を義務付ける都条例案、漫画やアニメの性的な表現への規制を強化する青少年健全育成条例案。丁寧で慎重な深い議論が求められました。都民の厳しい暮らしをよそに石原知事のオリンピック招致活動の無駄遣いの全容解明、都独自の緊急雇用創出事業、浪費的な大型開発などトップダウン・「構造改革」で推進してきた石原都政があらゆる事業で行き詰まっていることもあらわになりました。都政を変えたい!都民の声が生きる、都民が主人公の都政へ転換しよう!今都議会を通じて、その声がさらに大きくなっています。
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後期高齢者医療廃止へ
「いのち」守れ
後期高齢者医療制度即時廃止を!「いのち」のプラカードでアピールを採択=4月3日、明治公園
4月3日、首都圏と中央の医療、民主団体や労働組合は、東京・明治公園で「4・3大集会」を開き、後期高齢者医療制度の即時廃止をアピールして都内を行進しました。
「後期高齢者医療制度はいますぐ廃止!安心の医療実現!」の掛け声にあわせ、1万人を超す参加者がいっせいに掲げた『いのち』のスローガンが会場広場を埋めました。民主党は公約を守れ、の声が多く聞かれました。
吉田万三実行委員長の冒頭あいさつで、「後期高齢者医療の『そのうち廃止』ではどんどん悪くなる。いますぐ廃止することこそ大事。私たちの運動というエンジンこそ要求を実現し、政治をける推進力です。力をあわせ最後まで全力をあげよう」とよびかけました。
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京都府知事選挙(4月11日投票)に「激」を持って駆けつけ、「門ゆうすけ候補」(民主府政の会)を激励応援する革新都政をつくる会事務局長の中山伸(左)と東京都教職員組合委員長の児玉洋介(右)の両氏=3月20日、京都市
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10春闘、昨年上回る回答
国民要求と共同して宣伝
10国民春闘は、3月17日を回答指定日、18日を全国統一行動日に設定し、すべての単産で経営者に要求を出していこうと意思統一してスタートしました。
3月26日の回答集計では、組合の単純平均5252円(1.66%)、組合員の加重平均では5699円(1.83%)とし、昨年を若干下回る状況でした。しかしこの段階で昨年妥結額以上の回答を引き出した組合が88組合と回答を引き出し組合の44%となり、昨年(同時期で52組合)を大きく上回っています。
東京春闘の呼びかけにこたえて多くの地域春闘共闘が運動に立ち上がりました。江東が毎週8駅、8回にわたる宣伝、墨田が国民要求とも共同して9回の宣伝、足立が延べ21回の宣伝、新宿では4度にわたる深夜の「おかえりなさい宣伝」など、品川、武蔵野、三鷹、八王子などが毎週の宣伝に取り組みました。2月末の地域総行動も2回あった日曜日が雨でしたが、墨田がチンドン屋さんを先頭に商店街を練り歩くなど各地で取り組まれました。また未加盟組合への激励も江東が34組合訪問するなど各地で行われ、ハローワークや商工会議所などとの懇談も広く行われました。
そして、3月11日にJMIUが40組合のリレーストに、18日には建交労、郵産労、通信労組などがストライキに立ち上がり、三多摩、東部、北部、中部などで集会、デモなど取り組まれました。引き続き多くの組合が回答引き出しに奮闘しているところです。
実質収支大幅に下落
総務省が公表した家計調査報告によると、2009年平均の勤労者世帯の実収入は、前年から名目で4.6%減、物価の影響を除いた実質で3.1%の減少と大幅に下落しました。
このうち、世帯主の収入が実質で3.6%の低下の影響が大きくなっています。また、勤労者のうち単身世帯の収入は実質で8.5%の減少となっており、若い世代での収入低下も深刻です。こうした収入低下によって、消費支出も前年に比べ名目で2.9%、実質で1.4%の減少となっています。
くらしが安心・安定してこそ消費が堅調になります。そのためにも雇用の安定、賃金のアップ、社会保障の充実などが必要不可欠なこととなっています。
国民の15.7%
所得114万円以下
昨年10月厚生労働省は、日本の相対的貧困得率を発表しました。低所得者運動の立場から考えて見ます。
国民の15.7%、所得114万円以下の人々、つまり756万世帯2005万人がいわゆる貧乏人になります。
わが国の最低生活保障「生活保護」制度の東京都23区の生活保護基準額は、夫婦と子1人の3人世帯で月額約23万円、年額約278万円であり、給与所得だと176万円になります。生活保護受給者の181万人は、相対的貧困率の約9%にしかなりません。東京の貧困の実態を公共料金の滞納で見ると、別表のように都民の約15%、90万世帯が苦しい生活に直撃されていることがわかります。
「相対的貧困率」発表されたが、次の課題は、この貧困層をどう救済するかという政治の問題になります。「生活保護者はいまの10倍」という学者の見解は現実になりました。
生活保護の打ち切られた母子加算は、世論と運動で復活されました。同じく廃止された老齢加算復活を求めて裁判と国会前座り込みも取り組まれています。70歳以上の高齢者は手持ち金4万円があれば、生活保護申請は受け付けてもらえません。
1981年から65歳以上の医療費無料化を実施している長野県原村(2852世帯)の清水村長は、2月10日の参議院調査会で「高齢者、子ども((中学3年生まで)医療費無料化は、1人あたりの医療費も県平均を下回っている、財政上も有効だと感じている」と答弁しています。大企業の内部留保229兆円、都政の五輪基金4千億円などを、「いのちとくらしに役立つ」政治に使ったら、国民はどれだけ助かることでしょう。【東京都生活と健康を守る会連合会・須山利夫】
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都政転換(6)
―開発優先の都政転換を
道路をつくらなくても都市の渋滞なくせる
橋本良仁(高尾山の自然を守る会)
バブル経済の遺物
圏央道計画発表は1984年でした。都心に集中する東名、中央、関越などの高速道路を三環状道路(中央環状・東京外環道・圏央道)で分散させ、都内の渋滞を緩和するというのです。
これまで東京では、どんなに道路を造っても渋滞は解消されていません。圏央道は、80年代の4全総で建設を決めたバブル経済の遺物。人口減少の現在、中止を含めた検討が必要です。
80年代、欧州も渋滞に悩み、イギリスはロンドンの渋滞緩和のため高速環状道路M25を整備しました。しかし、渋滞解消どころかM25自身が渋滞しました。98年に政策転換し、市内に入る車に8ポンド課金し渋滞を減少させました。他の国も鉄道や路面電車などの公共交通の充実や徒歩、自転車利用を進めています。
交通政策の転換は、大気汚染公害や温暖化防止にも効果をあげ、徒歩や自転車利用は、健康を増進させ医療費を抑制しました。高価な道路を造らなくても渋滞解消は可能です。圏央道は私たちに、都市の環境と社会、経済活動のあり方を提起しています。
道路建設優先政策が民主党政権で転換できるか、「コンクリートから人へ」をスローガンだけに終わらせてはなりません
生物多様性の宝庫
高尾山は都心から1時間、標高599メートル、公園面積は日本最小770ヘクタール、日本の植物種の4分の1の1300種、5000種以上の昆虫、130種の野鳥、28種の哺乳類が生息する生物の宝庫です。奈良時代中期、僧行基が開山したと伝えられますが、宗教、軍事、政治上の理由で殺生禁断の掟を守り続け天然の生態系が保たれました。圏央道トンネルを掘った八王子城跡は滝が涸れ、地下水位は元に戻りません。高尾山はスポンジが水を含んだ水の山です。豊かな地下水は豊かな生態系を育みます。いま進行中の琵琶滝を貫く高尾山トンネルは、地下水に大きな影響を与えます。
石原都政の転換を
道路の公益性、とりわけ費用対効果(B/C)分析が大きな争点になっています。国は、B/C1.0未満の道路は造らないとしています。圏央道のB/Cは2.6ですが、私たちの計算では0.38。国は私たちの疑問に一切答えていません。
石原都政は都民の声を無視し、建設費1センチメートルあたり100万円の東京外環道路や圏央道を強行しています。開発優先の都政を転換し、安心と安全の東京を実現したいものです。
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子どもたちを貧困・格差から救う
3.13パネルディスカッション
「子どもの貧困と格差」問題で東京地評の呼びかけで開かれたシンポ=3月13日、大塚ラパスホール
この4月、高校進学を希望しながら進路の決まらない子どもたちが、昨年以上に出てしまいました。都立の一次入試の発表段階で5千人近い中学3年生の進路が決まっていない状況でした。2次募集や定時制を望んだ子どもたちも、2倍近い高い倍率で振り落とされ、4月から行き場のない子どもたちが出ています。
子どもの貧困問題を追って1年余り、お金がなければ学べない子どもたちの現状は深刻さを増しています。学べないだけでなく、その命や尊厳までが脅かされています。
3月13日、東京地評が主催してパネルディスカッションを開催したことは、運動の画期的な到達点です。パネラーの報告のエッセンスを紹介します。
小学校の伊藤先生は、自己肯定感を失い、孤立している子どもたちの背景に貧困があることを知り、教室を安心できる居場所に作り変えていきました。
学校事務職員の越智さんは、保護者の私費負担を軽減する府中市のとりくみを報告しました。
養護の高瀬先生は、給食が唯一食卓を感じられる食事になっている子、保護や愛情がなくエネルギー切れの子などに保健室から手を差し伸べています。
私教連の増田さんは、授業料滞納で退学に追い込まれそうな子を救うとりくみを報告しました。
私大教連の山賀さんは、大学の教育費負担保護者アンケート結果をもとに給付型奨学金制度などで教育の機会均等を訴えました。
東京自治労連の田川さんは、児童養護施設出身の子どもや福祉現場の現状を報告し、政治の責任を追及しました。新婦人の由比ヶ浜さんは、若い世帯の貧困が進み、東京に待機児童が7939人もいる保育行政の問題を報告しました。
教育の現場から発信した子どもの貧困・格差の問題は、その背景に構造改革路線が招いた労働者の貧困やセーフティーネットのほころび、政治の貧困があります。今回の集会が、保育や福祉、医療の問題を含み、子どもが生まれてから大人になるまでの具体的な報告と問題提起になっていたことは重要です。今後も、子どもたちを救うネットワークを大きく太くつなげて生きたいと思います。【東京都教職員組合・岸田久恵】
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青い空
黒木先生の遺影を見ていてふとY先生を思い起こした。93年4月から6年間、東京都立大学の総長を務め、2003年2月逝去された教育学者だ。ある研究者はY先生を、教育学の基本姿勢として、教育基本法に記された「普遍的で個性豊かな文化の創造」を自らの課題としてめざした教育学者だったと評している▼知られていないがY先生は、83年、87年都知事選の際、黒木先生らと候補者擁立で努力された学者グループの1人であった。中肉中背、眉太く、酒仙であったが所作には絶えず育ちのよさを漂わせていた▼「時局を観れば成功するのが稀なこととわかる。そう思えば希望は見えてくる」。83年3月、都知事選候補者擁立が頓挫し、寂寥感あふれる空気の中で、Y先生が私に寄せた言葉だ。周囲の喧騒と対照的なY先生の褪めた表情が忘れられない▼そのY先生、晩年、都立大学総長選で知己であった茂木人文学部長が選出された際、涙を流し喜んだという。石原都知事の「まったく新しい大学をつくる」とした都立大学解体を憂えていたからだ。さてその都立大学は2011年3月31日、歴史を終える。都知事選まであと1年。Y先生が都立大学に寄せた幾重もの愛情や覚悟と重ねあい迎えたいものだ。(駒)
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