トップページ
>
都民がつくる革新都政
> 2009年10月15日発行
会の機関紙「都民がつくる革新都政」2009年10月15日発行
新銀行東京・築地市場移転で特別委員会設置
「都議選の公約を守って」と開会日行動に参加した人々=09年9月7日、都庁前
東京都議会第3回定例会は、都議選、総選挙での自民・公明政権ノーの審判に示された、暮らしや福祉を大切にする政治に変えたいという都民の願い、さらに新銀行東京と築地市場豊洲移転ノーの審判に、都政も議会もどうこたえるのかが問われるなかで開催されました。
議会は、最終日の9月25日の本会議で、新銀行東京と築地市場移転問題について審議する二つの特別委員会の設置を決めました。民主党、日本共産党、生活者ネット・みらいなどが共同提案し賛成多数で可決しました。自民党、公明党は反対しました。今定例会で、新銀行東京と築地市場の豊洲移転に関しての二つの特別委員会が設置されたことは重要です。
新銀行東京と築地市場の豊洲移転は石原知事が主導してきたもので、都民からは厳しい批判があがっています。新銀行東京は2004年に都が1千億円を出資して設立したものの、2008年3月には累積赤字が1千億円を超過。都民の反対を押し切って都は昨年、自民・公明両党の賛成で400億円の追加出資を行いました。
築地市場移転予定地の東京ガス工場跡地(江東区豊洲)からは環境基準の4万3000倍の発ガン性物質・ベンゼンや、930倍の猛毒・シアン化合物が検出され、市場関係者や消費者団体が毒の上に市場を移すなと反対していました。
自民党と公明党は特別委員会は屋上屋となるもので、常任委員会の存在意義を奪うものなどという理由を挙げて最後まで設置に反対しました。常任委員会は、都側が提出した議案や報告について質疑をすることが中心で、他の課題があるなかで二つの問題に集中して系統的に調査議論を尽くすことや、知事及び関係局長の出席、関係者・専門家の参考人招致で、総合的・徹底的な審議が行えます。
▲
ページの先頭へ
都立3小児病院存続を
都議会前で座り込み
「都議選の公約を守って」「都立小児病院の存続を」と座り込み=09年9月7日、都庁前
都立3小児病院廃止反対大運動実行委員会は、「都立3小児病院の存続、全都立病院を守り、公的医療の充実を求める9月都議会総行動」を呼びかけ、新厚生委員及び3小児病院の地域の全都議に対する要請ハガキと都議会前での座り込み行動を実施しました。
都議会前の座り込みには各都立病院を守る会や様々な団体より、9月7日から17日の間の4日間で300人を越える人が参加し、新たな勢力となって初めての都議会に向け存続を訴えました。
要請葉書は全都で7500枚を郵送。葉書の「私の一言」はどれも切実で感動的なものでした。議会開会中のこの総行動は、議会質疑でも話題になるなど議員に影響を与えています。
八王子小児病院を守る会は、都議会への要請署名と地元選出都議会議員にあてた要請葉書への署名、「私の一言」への記入協力に取り組みました。JR八王子駅北口でのこの取り組みでは、1時間の行動で、署名182筆が集まりました。「家族にも書いてもらう」と都議あての要請葉書を何枚も持って帰る人もみられました。
1歳4ヶ月の女の子をベビーカーに乗せた女性は、「八王子に住んでいる人たちは、小児病院があるから安心できる。私も上の女の子が急に発熱したとき、小児病院に電話したら『すぐ連れてきて』といわれ、安心した。病気の子どもを府中まで連れて行けません」と話していました。
7月の都議会議員選挙の結果により、3月議会で「小児病院廃止条例」に反対した勢力が議会の半数を占めることとなりました。都立3小児病院を存続させる可能性がさらに大きくなっています。
新型インフルエンザへの対策強化が緊急に求められている今、地域で最も必要な小児救急、NICUを持つ都立小児病院を廃止することは、都民の命を守る立場から許されることではありません。
今後は12月議会へ向け、廃止条例の撤回、存続条例の提案・可決を求めさらに運動を広げていきます。
▲
ページの先頭へ
都議会第3回定例会を終えて
建設的提案 都民要望の実現に努力
日本共産党都議団 幹事長 吉田信夫
第3回定例会は、都議選、総選挙後初の定例会でした。それだけに私たちは、石原知事にたいし、選挙で示された都民の審判にこたえ、都政のあり方をくらしや福祉優先に転換することを求めました。また、新銀行東京、築地市場の豊洲移転ノーの審判にこたえることを求めました。
しかし石原知事は、もっぱら都議選は「国政の影響をうけたもの」で、都政への審判でないと居直る態度に終始しました。
同時に私たちは、都民要望実現のために、2つの選挙を通じわが党の政策や都民要求と各党マニフェスト・政策で共通する部分が生まれたことに着目し、建設的提案で都民要望の実現に努力しました。
その結果、民主、自民も公約にかかげた少人数学級については、教育長が「学級編成のあり方について適切に判断をしてまいります」従来にない答弁をしたことは重要な変化でした。また給付型奨学金についても担当局長は「今後、国の動向を注視しながら適切に対応」と答えたことも一歩前進です。さらに後期高齢者医療制度の廃止などについても「国における今後の動向を見守る」と従来のように頭から否定せず、新しい政治の流れを見定めざるをえない状況となってきました。
都立小児病院については、都はあくまで廃止の立場に固執しましたが、民主党が本会議質問で存続を求めたことは都民運動の反映です。私たちは一致する勢力と力を合せ、3小児病院の存続をめざし努力する決意です。
新銀行東京と築地市場の豊洲移転問題では、都は都議選でのノーの審判に背をむけましたが、わが党と民主党などの提案で2つの特別委員会が設置されたことは重要です。
オリンピック招致については、ついにIOC総会で東京の落選が決定しました。都民の支持が低かったことが最大の要因です。この点で都民の世論と運動がはたした役割は重要だったと思います。
今後招致活動の全体を検証するとともに、4000億円を都民のくらしや福祉、教育、中小企業に使うよう、都民のみなさんと共同のたたかいを広げていく決意です。
▲
ページの先頭へ
南米で初の開催―コペンハーゲン・IOC総会訪問―
OBJECTION!2016石原オリンピック
地元青年に「なぜ反対するのか」を聞かれ答えている訪問団・高石弁護士=09年10月1日、コペンハーゲン
国際オリンピック委員会(IOC)総会(10月2日、2016年オリンピック開催地決定)が開かれたデンマーク・コペンハーゲンを訪問した「異議あり!2016石原オリンピック連絡会」の代表団は、現地でのIOC委員への面会や宣伝(別掲のチラシ)などの行動に取り組みました。開催地は、シカゴ(アメリカ)、東京(日本)、リオデジャネイロ(ブラジル)、マドリード(スペイン)の4都市で争われ、リオデジャネイロに決定され、南米大陸ではじめての開催となります。
雨が降ったりやんだり、風も強く日本の感覚で言えば真冬並の寒さのコペンハーゲンで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会において、2016年オリンピック競技大会の開催都市が決定されました。現地を訪れて感じたことをご報告します。
9月28日夜に到着し、29日から宣伝場所の下見を兼ねて市内の様子を探りました。10月1日の総会初日にセレモニーが行われるという「オペラハウス」はまだ通常の営業中、2日から総会が行われる「Bella Center」にはすでにメディアセンターが設置されており、警官が入り口に立っていました。「ここで宣伝を行うことは可能か?」と正面から聞いてみると、無線で問い合わせた後、「敷地内は不可。歩道や電車の駅構内は公共スペースなので自由にできる。駅の方がたくさん人が通るからそこがいいんじゃないかな」とお勧めまでしてくれました。
その後は各国の大使館等に電話し、各国の委員に接触できないか電話作戦も行ってみましたが、現地に来ている人との接触は「多忙」のためなかなか実現せず。それでも、3カ国の関係者に意見を伝えることができました。
もっとできることはないかと、手分けをして関係者が宿泊しそうなホテルを巡るなどするうちに、IOC委員や重要人物の多くが宿泊しているというホテルがわかり、10月1日の朝そのホテルに向かいました。ホテル前では、メディアが入り口を囲み、その周りを警官が囲むという雰囲気にちょっと尻込みするも、思い切って「異議あり!」のチラシを配布しはじめると…、それに気がついた外国人メディアや地元メディアが私たちに殺到し、「なぜ東京招致に反対するのか?」などの質問攻めに!後で聞いた話ですが、地元メディアの中では、「東京反対派が宣伝をしている」ことは意外なできごとであり、話題になっていたそうです。現地でインターネットの検索をしてみると、「東京招致反対派が宣伝」という報道が早速流れていました。
1日の夕方には「オペラハウス」で宣伝する予定でしたが、オペラハウスが「封鎖」されこれは断念。2日は早朝から総会会場前の駅頭ビラまき宣伝と、IOC委員が入場する駐車場入り口で横断幕を掲げる宣伝行動。「OBJECTION!」の横断幕がバスの中からよく見えたことと思います。
現地にいて個人的にもっとも強く感じたこと。それは、「東京は蚊帳の外」ということでした。招致委員会にしてもメディアにしても、熱く盛り上がるブラジルやスペインに比べて、日本は静かに内部で盛り上がっている印象を受けました。これは世論の反映であると思います。
歓迎されていない東京招致がもし実現していれば、多くの矛盾が吹き出し、オリンピック運動にとっても、スポーツ界にとっても、都民・国民にとっても不幸な結果となったことは間違いありません。東京都は今回の結果を真摯に受け止め、「票集めのノウハウ」などという小手先のことではなく、都民に歓迎されるオリンピック運動への貢献を検討するべきでしょう。特に、競技大会の招致への固執ではなく、住民要望にしっかりと耳を傾けるところから始めるべきです。
最後に、ご協力いただいたみなさんにあらためて感謝いたします。【異議あり!2016石原オリンピック連絡会 新日本スポーツ連盟東京都連盟事務局長 井上 宣】
▲
ページの先頭へ
くらし・自然破壊の外環道計画
「ウォーク」で無謀さ実感
外観道路計画の実際を自分の足で歩き、身体で実感する「外環ウォーキング」=09年9月6日、三鷹
「豊かな緑と水の貴重なオアシスは、みんなの宝。子ども・孫の代へ手渡したい」「住民を無視しての巨大道路建設で住み慣れた町が押しつぶされる。ひどい!」――1メートル1億円の巨費を使って、練馬区から世田谷区、東京を南北に縦断する全長16キロメートルの東京外郭環状道路計画の実際を自分の足で歩き、身体で実感する「外環予定地ウォーキング」が、この秋の週末に行われています。
第1回(9/6)は三鷹編。東八道路から北野の都市農地、そして仙川間で残暑のなか汗を流して歩きました。ここは東八インターチェンジと中央ジャンクション予定地です。
第2回(9/13)は世田谷編。野川から神明の森みつ池、喜多見、東名ジャンクション予定地を歩きました。野川では子どもたちが水遊びをしていました。巨大ジャンクションで健康も心配です。
第3回(10/11)は杉並・武蔵野編。善福寺池から趣のある善福寺東町・南町住宅街、そして井の頭池まで爽やかな秋空の下、ウォークしました。
新政権の下で、10月9日に国交省が東京外環道用地費・補償費66億円を留保したというニュースが伝えられました。しかし、設計費は残っており、正念場の事態が続くなかで撤回めざして力強いウォークを行いました。
各地の実行委員会がリレーでつなぐ外環ウォーク、現地のみなさんの周到な準備と地域の自然、歴史、運動の熱い解説に、いつも新しい発見と驚きがいっぱい。外環道反対のとりくみに力強いエネルギーを満たしていただいています。
これからの予定は、10月31日(土)調布編。11月8日(日)練馬・関町編です。お世話になります。一緒に参加しましょう。【革新都政の会・事務局長 中山 伸】
▲
ページの先頭へ
新しい政治のなかでの生存権裁判
楽しみな第4回控訴審
年明けの「派遣村」から、日本の“失業と生活保護”が大きな社会問題となりました。今日までの生活保護は、16歳から64歳までを稼働年齢層として病気以外は生保の対象としない、また、寝泊まりする住居のない者も生保申請書を渡さない行政が永年続いてきました。昨年12月22日、都保護課長通知「雇用状況悪化に対する福祉事務所の相談援助体制について」が出され、まず保護を適用し、細かな調査は事後で差し支えないことに改善されました。国も今年3月同様の通知が出されました。
「受けやすく、自立しやすい」生活保護制度が求める
咀嚼力の弱い、墓参などの社会的費用が他の年齢層よりも余分に必要となる70歳以上の高齢者に「老齢加算」(月支給額の約2割1万8千円)が、2006年3月で廃止。母子世帯に支給されていた「母子加算」も2009年3月に廃止されました。9都道府県で「生存権裁判」がたたかわれています。東京の原告12人は、地裁の不当判決を控訴し、10月15日に四回目の高裁控訴審が予定されています。争点の二つを紹介します。一つは、「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」の委員長をされた岩田正美教授(日本女子大学)の「意見書」です。「1類基準額の是正等が行われないまま、加算が廃止されたことは、専門委員会委員長の立場として、はなはだ不本意である」と述べています。つまり、69歳より70歳の1類の差が3千760円、年間4万5120円の差が生じ、加算は減退という逆転現象を生んでしまったのです。
二つ目は、「加算」は「おまけ」という一審判決は誤りという冨家貴子教員(金澤福祉専門学校)の論文は、昭和30年代厚生省保護課長に聞き取り、当時の文書をまとめ「老齢加算は時代の要請であった」というもので、10月の控訴審で証人に立ってくれます。
9月9日、町田市議会は自民党以外の賛成多数で「老齢加算、母子加算復活を求める意見書」を採択しました。
▲
ページの先頭へ
青い空
一葉の落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知り、瓶中の氷を見て、天下の寒きを知る。前漢の時代、淮南王劉安が著した「淮南子」の説山訓で触れている言葉だ。一葉落ちて天下の秋を知る、また人生の凋落の前兆をあらわす例えとして引用されることが多い▼さて紀元前から時空を越えた今、説山訓を苦く噛み締めているのは都知事石原氏かもしれない。氏の独断専行で始まった2016年五輪招致の失敗は、残り任期1年半を前に都政のレームダック化から任期半ばの辞任説へと世上をにぎわしている。思えば五輪招致さなかでの「反日デモが続くなら北京オリンピックのボイコットを考えたらいい」とした氏の発言で眉をひそめた識者は少なくなかった。五輪落選の理由の一つとされる都民の熱意のなさも、結局のところ五輪憲章と隔絶した氏の世界観が見透かされたからではないのか▼ところで「淮南子」の説山訓には続きがある。近きを以って遠きを論ずるなり、というものだ。わずかな前触れや一つの出来事から大きな根本を悟れと例えられている。時は今「あやしげな風景」が都政を覆っている。説山訓は心ある都民に、都政史が経たことのない「時空」と正対する勇気と覚悟を求めているのではないか。(駒)
▲
ページの先頭へ
(C)革新都政をつくる会 All Rights Reserved.