イラク派兵・憲法改悪許さず くらしと人権・平和を守る都政めざし 今年もがんばりましょう おはよう東京 おはよう東京 はたらくものの平和の都 希望にあふれる私の東京 都庁前での集会などに臨む時、よくこのフレーズを口遊んでいる自分に気付きます。 戦争の20世紀から人が人として大切にされる時代へ、希望を抱いて迎えた21世紀。その第4年は、イラク派兵をめぐる緊迫した事態の中で迎えました。 労働者と家族・国民の幸せは、戦争のない平和な社会でなければ実現しません。だからこそ、労働組合は、戦争反対を自らの存在の原点としてきました。 各組合から年頭に寄せられた機関紙の新年号のキーワードは「平和」。東京土建の機関紙「けんせつ」一面に大きな文字で書かれた「輝け平和憲法、子らの未来に」の力強さには、おおいに励まされました。 国民の中に深く根づく「憲法の力」「九条の力」を確信に、労働組合の底力を発揮してイラク派兵中止、憲法改悪反対の大闘争を構築する決意です。 ゆるすな!雇用・賃金・年金破壊 まもろう!平和と憲法 ‐‐春闘で明日を変える 未来を拓く‐‐ 歴史的な情勢と深刻な生活危機の中でたたかう04春闘は、労働者の切実な要求実現とともに、政治・経済の歪みを正すたたかいであり、反転攻勢のうねりをつくる絶好のチャンスです。 改憲を声高に叫び、好戦的発言を繰り返す石原知事のもとの都政は、小泉「構造改革」による雇用・賃金・労働・社会保障制度破壊の防波堤になるどころか、大型開発優先、都民・職員犠牲の施策で悪政の先陣を切っています。 石原知事は、事あるごとに「東京から日本を変える」と言っていますが、憲法がすみずみまで生きる都政こそ、この国の首都に求められています。いま、「これでいいのか東京都政」の世論が急速に広がっています。 希望あふれる平和の都をつくるために、力をあわせましょう。スクラムを組みましょう。
(小松崎)明けましておめでとうございます。今日は会の機関紙での新春対談ということですが、(1)美濃部革新都政とはどんな都政だったのか(2)会としては候補者擁立はできなかったが、今回の都知事選に取り組んでの感想や石原都政について(3)今後都政を変えることを展望して何が必要かといったことでお話しをお願いしたいと思います。 まず柴田先生から、美濃部都政時代の理念や実績などを苦労話も含めてお話しください。 東京の常識は世界の非常識 (柴田)革新都政の話のまえに、いまどんな時代かということについて話したい。「東京の常識」は「欧米の先進諸国では非常識」だということだ。(柴田先生は最近「東京の常識は世界の非常識」(自治体研究社)という著作を発表されました) ○都心に近い横田(約35キロメートル)に米軍の軍事基地があって、民間の国際空港は遠い成田(約70キロメートル)ということについて、なぜ日本人は黙っているのか。日本人は軍用機の爆音が好きなのかといわれた。 ○東京に約800あるといわれる歩道橋にはエレベーターが付いていないが、車椅子や乳母車の人や足の弱い年寄りはどうやって道路を横断するのかと聞かれた。 ○日本は金持ちの国で、四国や東京湾に横断道路を何兆円も使って何本も架けるのに、勤労者はうさぎ小屋から遠距離を満員電車にゆられて通勤しているのはなぜかと聞かれる。 新橋や六本木や品川に集まる超高層ビルの豊かさを見ても、リストラや倒産などの不安と不満に脅かされている庶民の貧しさのうえに国の豊かさがあるということではないだろうか。 都政革新は一日にして成らず さて美濃部都政だが、第一はこれがある日突然、偶然に生まれたのではないということだ。 私が都の財政の勉強を始めたのは昭和30(1955)年頃。都立大学の助手だった。当時、都の予算を全体として本格的に研究したものはなかった。都の所管も都予算(一般会計・特別会計)は主計部、23区総体は行政部(俗に区政会館)、多摩の市町村は地方課と別れていて全体を束ねるところはなかった。論文「都の財政はどうなっているか」を書いたのが昭和31年。岩波新書「東京」を出したのが34年。これはのちに革新都政をめざす方針書となったと思う。 その後、都職労など労働組合の協力もふくめて、この地道な積み重ね約12年のうえに42年の美濃部都政の誕生となり、さらに2期・3期革新都政への継続・発展となった。 革新都政をつくるという事業は壮大な準備を必要とするもので、誰かテレビ映りのいい人はいないかと探すような、一夜漬けで出来るものではないということを強調しておきたい。 差し当たってどれだけの準備が必要か 次に、都知事に出た瞬間に何が起こるかという問題だ。都知事に当選したらしたであとが大変。当選してからでは間に合わないことがある。先ず、副知事をはじめとする主要なポストの人事は事前に準備しておかなければとても間に合わない。 当選直後の2定(6月議会)にかける施政方針にはそれなりの都政哲学と都民生活への具体的な施策が求められる。すぐに当年度の補正予算もつくらねばならない。この人事、哲学、予算の三つは出る前に準備して対策をねっておかないと革新の立場としてとても間に合わない。 もう一つは議会対策。 少数与党のなかで、ミクロで野党のみなさんにも理解をしてもらいながら、マクロで革新の施策を通していくという苦労をしながら進めていった。 実際に(知事を)取ろうと思ったら、少なくともこれだけの準備をあらかじめしておく必要がある。 こういう準備ができてなくて間違って当選したとしたら、混乱して却って打撃を受けるということにもなりかねない。 美濃部革新都政は何をやったか 美濃部都政が何をやったかについて概観してみる。 老人・障害者・公害病・難病などの医療費の無料化。老人・障害者など福祉手当の支給。未認可保育所への助成。都立高校増設と教育予算の拡充。私立幼稚園・高校生への助成。朝鮮大学校の認可。無担保・無保証人融資制度の拡充。公害対策の拡充・強化。などの福祉・教育・中小企業・公害・三多摩・島嶼施策の拡充。 横田基地内都有地の返還訴訟、新島射爆場設置反対など平和のための施策。 法人事業税、都民税への不均一超過課税などの自主財源確保策。 そして都民との直接対話を軸にした都民参加の追求など。 「シビルミニマム」と表現され、都政に憲法第13条、第25条の精神を貫ぬこうとしたその姿勢と施策は全国の自治体に波及し、後に国の施策となったものも少なくなかった。 (小松崎)都庁労働者として革新都政の第一線で活動し、これを支えてきた桑江事務局長如何ですか。 知らない人がほとんど‐美濃部革新都政 (桑江)革新都政といっても、もう25年ほど前のことで知らない人がほとんどだ。都庁のなかでも当時いた人は数パーセントだろう。都民のなかでも40代以下の人はよく知らない。 そして都庁は今日まったく様変わりしている。だから革新都政をつくるといってもイメージがもてないのではないだろうか。 革新都政の時に人事制度の改正で諮問を受けた長谷部委員会の助言では「都庁と労働組合は都政のパートナー」だと言っている。革新都政のあともしばらくはこの余波が残っていたが、いまの都政では先ず考えられないことだ。 このような実績をいまの人達に示す必要がある。 都民本位の施策は都民の運動で実現させた 未認可保育所への助成は憲法違反、老人医療費の無料化は国民健康保険法違反といわれながら都民のたたかいでこれを実現し、老人医療費助成は国の制度になった。 ゴミ処理対策も「ゴミ戦争」とまでいって都政の総力をあげて前進させた。 後楽園の競輪廃止でギャンブル収入をやめ、清潔な都財政をめざした。 これらはまさに東京から発信して全国に影響を及ぼしたものだった。 在日の人達はそれまで自由診療でめったに病院にも行けなかったが国民健康保険に入れることにした。辛淑玉さんがいつもいっているが、辛さんのお母さんが「おまえは美濃部さんが在日朝鮮人も国保に入れてくれたので助かったのだ。美濃部さんのお陰で生きているのだ」とよくいわれるそうだ。 久保講堂での障害者の集会で美濃部知事が発言したことを契機に、都立神経病院や神経研究所も出来たが、これは日本で最初のことでこれが全国に与えた影響も大きかった。 都民と向き合って都政を前進させて来たこういう時代があったということを若い人たちにしっかり伝える必要がある。 鈴木・石原都政と続くなかで、「財政再建」が掲げられ、金がないから、改革だからと仕事をどんどん切っていく。ある部長が言っていたが、今は楽でいいと。要するに切ればいいんだからと。しかし、職員は都民のための仕事をしたいと思っているのだから、説明もできないのにあれ切れ、これ切れといわれたのでは意欲を失ってしまう。 ところで柴田先生、革新都政の時にこのような実績をあげることができた原動力は何だったのでしょうか。 法律と予算を洗い直し、国にも直断判を (柴田)仕事が出来ない理由としてあげられるのは予算と法律だった。予算がない。法律でこうなっている。革新都政以前はそこで話は終わりだった。そこで思考が止まっていた。これを根本から問い直させた。もう一回ひっくりかえして考えようと言った。固定資産税、事業税の税率などもいつ、だれがどうやって決めたのか、その根本にまでさかのぼって追及させた。 そんな都税のあることも知らないのかという顔をよくされたが、それでもそんな税金がなぜあるのか背景への質問のくりかえしを敢えてやった。 法人事業税のもとになっている法人税でも、その算出に経費としてどこまで認めるのか、交際費や広告宣伝費、減価償却などを見ると、どうみても大企業に有利な内容になっていて、むしろ強きを助け、弱きをくじくものになっているその国税の根本まで考えてもらった。 「国の法人税がこう曲がっているから法人事業税の税収が減る」「所得税がこうなっているから低所得者の住民税が重くなる」‐「こういう法人税、所得税のインチキを指摘し、国と喧嘩をして来い。骨は拾うから」といって自治省、国税庁に行ってもらった。 固定資産税でも資産を住宅用と事業用に分け、事業用資産にたいして超過課税をかけることなども提起した。 すると向こうの国側は法律は変えないが目立たぬよう通達で直して来たりしたものだ。 このように自治体がその気になれば国を相手に相当やれることがある。それが新財源構想研究会の報告となって出され、その幾つかは結実した。ここに美濃部都政の自治体としての神髄があったと思う。 (小松崎)会として候補者を擁立できなかった今回の選挙について、都政懇の中心としてご努力いただいた立場から如何でしょうか。
もっと若い人を候補者の前に御神輿を‐早くから準備を (柴田)一つは関係者全体にもっと若い人の参加がほしかった。美濃部さんのときは学者でもわたしを含め、助手(大学院)クラスの若い人が大勢結集してたたかった。その点、今度の京都市長選挙では若い人を含め、大学の先生たちを大勢集めているようだ。そうすると市民も安心して大勢集まってくるものだ。 それと当選したらどうする、これもなかった。時間をかけて十分当選後の準備をすることがどうしても必要。さっきもいったように美濃部さんのときで10余年準備した。選挙のときから逆算して今から準備をしていかないといけない。 いい候補者をと思っても、いい御神輿がまずできていないとそれに安心して乗れないのは当然。出てもらうには、人事、予算、最初の挨拶などについて、ここまで準備したから如何ですかということがなければ出てもらえない。それに話の次元が低くなるが、選挙に出る人が落ちた後のことを心配するのは当然だ。公職をやめなければならない場合もあるから、その後をどうするかを考えておくことが大事だ。年金がどうなるかとか。 美濃部さんの時は、ちょうど教育大学を定年でやめられるときで、年金があるから落ちても大丈夫ということだった。そして10年かけて準備はできており、あと大内(兵衛)山脈という強大な人脈があり、その大内さんの「鶴の一声」で決まった。 (小松崎)事務局長として今回の選挙、そして今の石原都政について如何ですか。 オリンピックでなく本気で取る選挙を (桑江)東京はまだ肚をすえた準備になっていない。御神輿づくりでどこまで共同をひろげてきたか。 九九年選挙の総括で、幅広い人との共同を打ち出した。それを受けての今度の選挙だった。本気でやりたい、取る選挙をやりたい。やらせてほしいという都民の願いが今回の都政懇を生み出した。いろんな人と話し合い、一歩でも二歩でも前進をとやって来た。しかし、この共同はまだ第一歩であり、始まったばかりだ。 府政・市政の研究も京都では力を入れて丹念にやっている。この点でも大きな反省が必要だ。 いま、グローバルな新自由主義路線のもと、自治体のありかたも根本から変えられようとしている。むつかしいがこれに対処する方針をもってたたかっていかなければならない。 一人の住民の悩みを全体の問題として受け止め、住民と職員が協力して行動し、自治体行政にももっと積極的に接近し、アピールしていくことが求められていると思う。都政をもっと都民に近づける努力が必要だ。革新都政の会も神輿をつくる仕事に本格的に取り組まないといけない。 (小松崎)3年後に向けて何をやるべきかについて。 つのる庶民の不安と不満‐都政転換の展望が (柴田)客観情勢は一面深刻だが、反面たたかいの広がる状況でもある。 (福祉)予算は切る。消費税は上げるという。これは本来貧乏人から取るということだ。貧しい年寄りはパスも取られ、買い物にも病院にも行けなくなるのではないか。 そして道路はもっとつくれと道路特定財源には手をつけない。 そしてイラクに自衛隊を出す。500人で足りなければ1000人出すだろう。1日3万円の手当を出して。予算ももっと必要になる。庶民の不安と不満は高まらざるを得ない。庶民の生活を大事にする都政への待望が広がってくるのではないかと思う。 元日の毎日新聞に「今年何が起こるか」の記事があったが、最大・最強の米国がこのままいくのか。強いドルへの信心が今後も続くのか。いったん疑われると暴落するのではないか。日本はどこまでこれにすがりついていくのかと問題提起をしていた。 小泉も石原もおかしくなり、丸投げすることもあるのでは。石原都政をひっくりかえす可能性が広がるのではないか。 3年あれば御神輿づくり間に合うのでは。美濃部都政のときのような明るい都政の兆しがここにあるのではないか。 私もできることでお手伝いしたいと考えている。 革新都政の会の運動強化と共同の飛躍的拡大を (桑江)会は昨年暮れに総会をひらき、選挙総括はひきつづき討議することとし、会としては、確認団体との位置付けはやめて、「都政を変える」都民運動団体として、もっと幅広い人達との共同で進める方向を決めた。 確認団体は選挙になって相談して作ればいいということにした。 また、都政懇の貴重な経験を生かし、これから若い人を含めてもっと多くの人達が結集できるような方向が追求され、この二つがうまく協力出来るようにやっていければいいのではないかと思っている。 (小松崎)ありがとうございました。都政革新をめざし、会の運動の強化と共同の一層の拡大とを車の両輪として、早くから準備にかかれるようやっていくということで終わらせていただきます。
1月15日告示、2月1日投票で大阪府知事選がたたかわれます。 この選挙に「明るい民主大阪府政をつくる会」は弁護士の梅田章二さんを擁立、福祉・医療・教育第一、府民と中小業者主役の府政への転換をめざしてたたかっています。 選挙は、事実上、現職の太田房江氏、自民党府議会議員などが擁立する江本孟紀氏と梅田氏の3氏の争いとみられています。 革新都政の会は九日、小松崎事務局長代理と森事務局次長が現地大阪市北区の梅田事務所を訪ね、井口淳治事務所長に檄文と陣中見舞い(カンパ)を渡し、激励しました。