~連載(第4回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年② 第2臨調と鈴木都政
2018年4月17日


 鈴木都政にはこうした政府・財界にとっての「安上がり政府」のモデルづくりという役割が課せられたわけです。
 山本正雄 都政黒書

 革新都政が倒され、自公与党の保守都政が生まれた1970年代から80年代にかけて、世界ではアメリカ中心のブレトン・ウッズ体制(国際通貨体制)が崩れ、大量生産・大量消費型のシステムに依存したフォーディズム・ケインズ主義の経済政策が危機に直面することとなりました。
 このことに危機感をいだいた欧米先進諸国では、市場原理優先の新自由主義が台頭することとなり、1973年には米欧日の「先進工業民主主義国」で構成される「三極委員会」がアメリカの大財閥・ロックフェラーの提唱で立ちあげられ、その2年後には先進6カ国による「サミット(主要国首脳会議)」が開催されるなど、先進資本主義国間での、資本主義の延命のための歩調をあわせた動きが活発化させることとなりました。
 そして、この動きを加速させるようにサッチャー政権(イギリス・1979年)レーガン政権(アメリカ・1980年)中曽根政権(1982年)という超保守、市場原理主義の政権があいついで誕生することとなり、戦後つづいた「福祉国家」の否定とむき出しの市場原理・民間活力導入路線が荒れくるうこととなったのです。

東京都が全国の先導役

 こうしたもとで1979年に知事に就任した鈴木都知事は、就任後ただちに私的諮問機関・「東京都財政再建委員会」(委員長・稲葉秀三産業研究所理事長、日本プロジェクト産業協議会顧問)を設置。国や全国の自治体に先行するかたちで、「都市経営論」にもとづく、都市開発と「小さな政府論」「自助論」民活路線を都政に持ちこんだのです。

臨調・行革の嵐

 一方、国においても、財界・政府が、「行政守備範囲縮小論」「日本型福祉論(相互扶助論)」「都市経営論」などを声高に叫び、東京都に遅れること2年。「行政改革は神の声、天の声、地の声」などというキャンペーンのもとに、「増税なき財政再建」を旗印にした「第2次臨時行政調査会」を立ちあげ、①土地利用や都市開発規制の緩和、検査・検定の緩和、②国鉄・電電・専売の3公社の民営化、③福祉・医療などの社会保障制度の縮減などが打ちだしました。国はまた、「臨時行政改革審議会」(1983年)を発足させ、内需主導型経済への転換が打ちだすなど、大企業優先の政策をつぎつぎと具体化させていったのです。 

攻撃の的は都民サービス

 鈴木都政の役割は、まさに、この財界戦略の先導役であり、地方からの行革の先兵となることにほかなりませんでした。
 実際に、「財政再建委員会」は、都財政の危機をすべて革新都政時代の失敗ときめつけ、①都民サービスの切り下げ、②公共料金引き上げ、③職員定数の大幅削減などを柱とする答申(都財政再建の方策)を策定。鈴木都政はこれを都民の反対を押しきって推進したのです。
 この答申にもとづく施策の執行額は総額6250億円にのぼりましたが、そのうち9割が福祉や医療などの削減、国保料金・上下水道料金・都営交通など50種もの公共料金値上げ、都職員の定数削減などによるものなのです。
 福祉局予算で見ると、革新都政時代には6・75%あったものが、16年後には5・06%に後退させられていますし、革新都政時代には全国の大都市のなかで一番安かった水道料金がもっとも高額のワーストワンに転落させられたのです。
卯月はじめ

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