革新都政をつくる会とは
2012年7月3日
 「革新都政をつくる会」の申し合わせで、次のような目的を定めています。
首都東京に革新都政を再建するための運動を行うこと

「革新都政をつくる会」のあゆみ
 1967年の都知事選挙で、著名な学者・文化人や多くの都民団体、政党では日本社会党と日本共産党の共闘を軸に、「明るい革新都政をつくる会」が結成され、美濃部亮吉氏(東京教育大学教授:当時)を候補者に擁立・推薦してたたかい、都政史上初めて革新都政を樹立したことから、その歴史をスタートさせました。

 美濃部革新都政は、福祉や公害防止対策などで数々の都民本位の施策を実現し、全国的な革新自治体の新たな誕生と広がりに貢献しただけでなく、国政にも大きな影響を与えましたが、1979年の都知事選挙で鈴木俊一氏が当選し、保守都政に転換しました。
 その後、紆余曲折がありましたが、1982年に多くの団体・個人の革新統一への強い願いを受け、「明るい革新都政をつくる会」の歴史と伝統を継承して「革新都政再建をめざす各界連絡会」が結成され(同年)、その後「ふたたび革新都政をめざす会」(87年)として継承され、99年の都知事選を前に98年11月に現在の「革新都政をつくる会」に改称されて今日に至っています。

会の政策

「革新都政をつくる会」総会・2011年9月21日


石原都政に終止符を打ち、新しい「福祉・防災都市、東京」を!
革新都政をつくる会2011年度総会
都知事選挙総括及び2011年活動方針(案)

2011年総会の目的
  1. 2011年都知事選挙へのとりくみと未曾有の東日本大震災・原発事故のもとでの選挙戦を総括し、教訓と課題を明らかにします。
  2. 都知事選挙後の大震災救援・復興、原発問題を通して、新しい政治を求める国民世論と行き詰まり、停滞する石原都政をめぐる情勢を明らかにして、石原都政に終止符を打ち、都政転換を実現する方針を決定します。
  3. 会計報告・予算案を確定し、役員の改選・補充等「革新都政をつくる会」の体制確立を行います。

第1号議案  都知事選挙総括及び2011年活動方針(案)
Ⅰ 都知事選挙総括(案)
 2011年都知事選挙は、選挙史上かつてない事態の下での選挙戦となりました。
 告示目前の3月11日に発生した東日本大地震・巨大津波と東京電力福島第一原発の過酷事故は、選挙戦を激変させ、甚大な被害に対する救援と緊急対策が次々と求められる緊迫した事態の中での選挙となりました。
 「革新都政をつくる会」(以下「会」)は、この未曾有の大震災の下で、小池あきら候補を先頭に、大震災救援募金を呼びかけるとともに、「いのちを守る防災・福祉都市東京への転換」を訴え攻勢的に論戦を展開し、全力をあげて選挙戦をたたかいました。
 大震災一色の報道と都民生活への不安、「選挙活動自粛」が意図的につくられるなかで、「会」に結集する団体・地域組織・都民は、これと立ち向かい、全戸配布・街頭宣伝に打って出て、対話・支持拡大の活動を終盤急速に押し上げ、小池候補は62万3913票(10.35%)を獲得しました。
 「引退方針から一転」、大義なき四選出馬を行った石原候補が候補者間論戦を回避し「暗闇選挙」にする中で、石原都政転換を真正面から掲げた小池候補が前回に並ぶ得票を得たことは、善戦・健闘といえる結果であり、今後の反「構造改革」、憲法を守り生かす、新しい福祉・防災都市東京を実現するたたかいの土台を固める選挙となりました。

1 都政・都知事選挙をめぐる情勢:どういう情勢のもとで都知事選挙をたたかったか

(1)「行き詰まる石原都政」転換へ、広がる都民運動
 「東京から国を変える」「何が贅沢かといえばまず福祉」と言い放ち、新自由主義的「構造改革」路線を強行してきた石原都政は、医療・福祉を切り捨て、教育の競争主義、管理統制を強化し、雇用や生活保障は二の次で貧困とくらしの不安を広げてきました。
 また、東京の産業の宝である中小企業振興は不十分なままに、大企業本位の東京再開発とインフラ整備を、オリンピック招致を梃子に加速させ、東京を過密で安心して住み続けることの出来ない街にしてしまいました。
 一方で石原知事は、憲法否定の発言を繰り返し、豪華海外視察や側近政治による都政の私物化で、都政運営を大きく歪めてきました。
 これらの小泉「構造改革」と一体に進められた都民犠牲の諸施策に対して、都民はこれを批判し、反対の声をあげ、都民要求を結集した多様なたたかいをすすめてきました。
 全国に連帯の世論を広げた「反貧困」の運動、職場・地域で憲法を守る活動を広げて東京で900を超えた「九条の会」、そして、外環道建設反対、都立小児病院存続・子どものいのち守れ、30人学級実現など広範な草の根の都民運動が都内各地で粘り強く、活発に展開されました。
 この中で3期目を迎えた石原都政の施策は、都民との矛盾を深め、2009年7月の都議会議員選挙において、都民は築地市場移転、新銀行東京、都立3小児病院廃止にノーの審判をくだしました。その結果、鈴木都政以来30年続いた都議会自民・公明両党の過半数占有を突き崩し、この流れは、9月の総選挙での政権交代につながりました。
 そして、なりふりかまわず推進してきた2016年オリンピック招致も2010年10月の国際オリンピック委員会総会で落選し、石原都政は行き詰まり、「都政の失速、都職員も実感 (石原知事の)4選出馬には7割が反対」(1月7日都政新報:職員アンケート)と「末期」的様相を呈しました。
 石原知事も自らの3期12年の成果を問われ「石原カラーを生かせた施策は『会計制度(複式簿記)と外形標準課税』」と答え、トップダウンですすめた事業をあげることができませんでした。その一方で、3期目も豪華海外視察の贅沢三昧を繰り返しました。

(2)いのち・くらしを守り、「閉そく状況」を打破する都知事選挙
 行き詰まった3期目の石原知事の任期満了を控え、2011年都知事選挙は、反貧困、憲法を守り、新しい政治の流れにふみだした都民世論の結集による石原都政の転換が強く求められました。
 他方で自民党、公明党が石原都政の継続をめざす中で、政権党・都議会第一党の民主党は、自らの立ち位置が問われました。しかし、国民が期待した鳩山内閣は迷走と公約裏切りの末瓦解し、後継の菅内閣が成立しましたが2010年7月の参議院選挙で大敗し、参議院は野党多数の「ねじれ国会」となりました。続く民主党代表選挙による党内抗争のすえ、9月に成立した第二次菅内閣は、「構造改革」路線への回帰、日米軍事同盟の深化を掲げ、党として公約した「国民生活第一」の立場を投げ捨て、内閣支持率は20%台まで急落し、国民の失望は怒りとなって広がりました。
 都議会民主党も「新銀行東京の存続にNO」「築地市場の移転にNO」を掲げ、石原都政と対決するマニュフエストを打ち出して都民の期待を集め都議会第一党となりましたが、都立3小児病院廃止賛成、築地市場移転予算賛成など次々に石原都政と妥協し、ついには独自の都知事候補を擁立できませんでした。
 民主党が「政権交代」、「都議会第一党」への国民・都民の期待を裏切ったことは、政治への信頼を衰弱させ、都民の都政転換への熱意を奪い、石原都政の悪政を隠ぺいする犯罪的役割を果たしました。
 このなかでの都知事選挙は、円高・不況、くらし、雇用、仕事確保の深刻な事態の広がりとこの国を覆う「閉そく状況」を打ち破るために、貧困解消、いのち・くらし第一の政治への転換を対決軸としたたたかいが強く求められました。

2 都政転換、「革新都政をつくる会」のたたかいと結果について

(1)「新しい福祉都市、東京」をめざして
 「会」は、前回都知事選以降、「都民要求実現全都連絡会」とともに多様な都民運動、地域運動、各界・分野の学者・研究者、文化人などとの共同、連携、結びつきを強め、石原都政転換、都民が主人公の都政実現をめざす都知事選挙への基盤を拡大する「結び目」の役割を果たしてきました。
 “2011年春東京を変える”をスローガンに2010年1月20日、「会」は新春都民集会(みらい座いけぶくろ)を開催し都知事選挙へのスタートをきるとともに、候補者を準備する具体的動きを開始しました。
 そのうえで、4月23日「都知事選挙一年前、団体・地域代表者会議」において、石原都政転換をめざす対抗軸を「共同の拡大」「政策の確立」「候補者の擁立」の3本柱で推進し構築することを戦略として定めました。
 なかでも「政策」については、6月に基本政策案を提起して討議を呼びかけ、11月、「2011年都知事選挙基本政策:くらし・いのちを大切にする新しい福祉都市、東京へ」を発表しました。
 「都知事選挙基本政策」は、新しい福祉都市東京へ「3つの転換(『構造改革』『大規模開発』『憲法否定』)4つのゼロ(貧困・保育待機児・高齢者医療費・高校に行けない生徒)」と「基本政策」を提案し、その実現で貧困を解消し憲法9条が輝く東京を実現する展望を示しました。
 「政策」は、ビジュアル豊富なパンフレットにして諸団体、各界、各分野に広く普及し、小集会、学習会で活用されました。他陣営に先駆けての政策発表は、マスコミや都政関係者にも影響を広げ、石原都政転換か継承かが立候補予定者に厳しく問われました。
 「都民要求実現全都連絡会」など都民運動も都民要求実現をめざし、対都交渉・行動を強め、12月14日、日比谷公会堂で全都の都民運動が一堂に揃い「声をあげよう、つながろう、住みよい東京へ12・14都民のつどい」を開催し、1200人が結集しました。同時に石原悪政告発の大型「東京マップ」を作成し、学習、宣伝に打って出る提起が行われました。

(2)小池あきら候補を擁立してたたかう
 候補者の擁立は選挙をたたかう最大の課題です。
 「会」は、「都知事選挙基本政策」を土台に、くらし・いのちを守る都政への転換をめざし、反貧困運動を基盤とした候補者の擁立をめざして、最終盤ギリギリまで力を尽くしましたが、立候補への決意、擁立実現には至りませんでした。
 自民党など石原都政継続をめざす勢力との対決軸を鮮明にする候補者の擁立が求められる告示2か月前のタイムリミットともいえる政治情勢の中で、主体的に情勢を切り開くために候補者選考を進めました。都議会第1回定例会開会日の2月8日を目前にして、代表世話人会は、以下の選考基準のもとに、厳しい検討をすすめ、小池晃氏が、都民の願いを真正面から受け止めて、先頭に立ってたたかう都知事候補にふさわしい人であるとの結論に達しました。そして、2月2日、小池晃氏に無所属での立候補を要請することを決定しました。

<選考基準>
①今日の情勢の下、『会』の政策「新しい福祉都市、東京へ」の実現をめざすたたかいの先頭に立つ人
②都政・国政問題での立ち位置が明確で、論戦力、政治力があり、知名度とともに幅広い共同拡大の要となる人
③石原都政を都民の立場で確実に転換することを訴え、実現できる人
④都知事として、都民の立場で東京から国政の流れを変えられる人

 引き続き、日本共産党への要請、団体地域代表者会議を経て、2月10日、臨時総会を開催し、小池晃氏と政策協定を結び、出馬表明を行いました。
 小池晃氏の立候補表明の後、企業経営手法による都政運営を旗印に渡辺美樹氏が立候補表明し、続いて新自由主義的「構造改革」勢力から松沢成文神奈川県知事が立候補表明しました。民主党は3月10日、岡田幹事長が独自候補擁立の断念を表明。都政転換をめぐり激しいせめぎあいの事態となりました。しかし世論調査で「松沢氏では勝利できない」との判断にたった自民党・公明党、保守勢力の総力をあげての工作により、3月11日都議会第1回定例会最終日に石原知事が「引退方針から一転」(朝日新聞)4選出馬を表明しました。さらに、新自由主義的「構造改革」を志向する前宮崎県知事の東国原英夫氏が知名度とメディアを利用して浮動票獲得をねらって告示2日前に立候補しました。
 選挙戦は、「構造改革」推進の石原知事、その亜流候補と福祉都市東京への転換をめざす小池候補の対決構図が鮮明になりました。

(3)3・11大震災の中で小池あきら候補を先頭に奮闘
 3・11大震災直前まで都政転換をめぐり激しいせめぎあいが続いていました。
 小池あきら候補出馬のマスコミ報道と同時に、都民の都知事選挙への関心と小池候補への「会」外の期待が高まる中、小池候補は「くらしを守り雇用をふやす小池あきらの新しい福祉都市、東京ビジョン・チェンジ石原都政」を発表、2月17日九段会館での決起集会を会場いっぱいの参加者で成功させました。そして、全都の地域や労働者・女性・医療・教育・業者などの各分野で次々と集会・つどいが開催され、3月2日には団体地域代表者会議を開催し、告示日までの大宣伝行動などに打って出る作戦の意思統一を行いました。各界著名人のアピール「小池あきらさんに期待します」よびかけが行われ、青年は「東京ガチトーク3・5イン渋谷」を開催、ネットでも大きな関心をよびました。しかし、選挙モードが高まり始めたその矢先、石原知事が急遽立候補を表明した直後の東日本大震災の発生は、選挙戦の様相を激変させました。
 大震災発生から投票日までの1ヶ月間の選挙戦は、大震災の救援・支援に都民・国民が総力をあげる中で、都知事選の真の争点である石原都政の検証と都政変革についての全都的論議は後景に押しやられました。
 未曾有のマグニチュード9の大地震、東京は震度5強による交通機関のストップ、300万人の帰宅難民、液状化、家屋破損、その後も続く余震。さらに福島第1原発事故による放射能汚染への危機、「計画停電」の実施は、都民のくらしにも大きな打撃を与えました。
 この東日本大震災は都民の心理に大きな影響を及ぼし、政府・東京電力の対応への不信と批判の声が広がり、政治的関心が急速に高まりました。同時に、この未曾有の困難の時期に、街頭での選挙の訴えやビラ配布に対する批判や悪感情も生まれました。
 「会」と小池候補は、被災者救援・被災地支援の活動を全力で取り組みました。
 本来、このような事態のもとでは選挙は延期が当然でした。自民党・公明党などの党利党略で東京の選挙は実施が決定されましたが、選挙活動は、これらの策動やマスメディアの報道などの影響で「自粛」ムードが広がりました。
 その中で、「会」は、防災問題を都政の根幹にかかわる重大問題として「大震災、都民への呼びかけ」「小池あきらの震災予防宣言」を発表しました。この訴えと政策提起には、大きな共感が寄せられ、選挙後もたたかいの指針となっています。
 また、大震災の下においても、都政の重大問題についての政策を積極的に発表しました。「ストップ豊洲移転、築地市場を守りましょう 築地アピール」は、市場関係者をはじめとする移転反対のたたかいに確信を広げ、切実な雇用問題でも「学卒者TOKYO就職難解消プラン」を発表し、青年の共感をよびました。
 小池候補の街頭や集会での訴えは、明快で、どこでも有権者が立ち止まり、共感を広げました。ネットでは選挙中も政策論議が高まり、新たな層へ小池候補と政策への支持が広がり、選挙後もネット討論が続いています。
 全戸配布も「小池あきらの新しい福祉都市東京ビジョン」ビラ、法定1号「力をあわせて被災者を救援しましょう。いのちを守る福祉・防災都市へ」ビラをあわせて1千万枚運用。法定2号ビラでは、党派を超えた著名人が小池候補支持をよびかけました。
 困難を打開し、最終盤での飛躍をめざす決起の場として開催した4月4日の池袋大街宣と代表者会議で意思統一した内容を、号外「防災・原発・福祉、都民が願う3つの転換」として発行。大震災・原発事故に直面する都民との対話・支持拡大の飛躍に大きな力を発揮しました。

(4)石原知事4選・小池候補善戦健闘
 大震災の下の都知事選挙となり、投票率は、低下が予想されましたが、都民のなかに政治の変化をもとめる流れも広がり、前回を3.45%上回る57.80%となりました。
 投票の結果は、小池候補:62万3913票(10.35%)石原候補:261万5120票(43.40%) 東国原候補:169万0669票(28.06%)渡辺候補:101万3132票(16.81%)となり、石原知事の4選という結果になりました。
 前回繰り返し行われたテレビ討論が一度しか行われず、候補者間の論戦がなく真の争点が隠された中で、ビラやインターネット、対話活動で小池候補の政策が伝わった人たちからは、共感と支持の声が寄せられましたが、広範な「無党派層」への支持を大きくのばすことはできませんでした。しかし、石原都政転換をめざす唯一の候補者・小池候補と掲げた政策への共感が党派を超えて広がったことは、石原都政転換への新たなたたかいの基盤を強めるものとなりました。
 石原知事は、4選となりましたが、その直接の要因は、震災対策を前面に打ち出した「リーダー像」と「選挙自粛」を理由に徹底した論戦回避戦略をとる一方で、危機感を持った自民・公明両党が支持団体・業界をあげて石原支持の獲得に全力を挙げた結果です。都民の批判は、石原候補の得票率が5割をきったことに示されました。
 東国原候補は、知名度に頼り、20代・30代の支持は高かったものの、渡辺候補と同様に石原都政を評価する石原亜流の立場であり、「反石原」を願う世論の支持を一部集めましたが石原都政に代わる新しい都政への展望を打ち出すことはできませんでした。
 候補者を立てられなかった民主党の支持層は、各候補に分散し、石原候補へ3割近くが投票し、小池候補にも1割前後が寄せられました。都政を動かした新しい政治の流れは「伏流」化する結果となりました。

3 新たなたたかいに生かす都知事選挙の教訓

①今回の都知事選挙では石原知事が退任し、新しい候補者間で争われる選挙戦となる可能性を想定していましたが、ぎりぎりの段階での石原出馬、東日本大地震の発生などで選挙戦の様相が激変しました。
 今後の国政や地方自治、東京をめぐる情勢はこれまで以上に激動の情勢が想定されます。あらゆる状況を検討して選挙方針・戦略を組み立てる必要があります。

②石原都政を転換し、21世紀の新たな福祉都市東京の姿と展望、実現可能な都政政策を研究し打ち出したことは大きな前進でした。政策パンフレットは、好評でした。しかし、多くの都民にとって「都政は国政より遠い存在」です。これらの政策は、要求を出発点としながらも、制度のしくみや財政の裏付けなどが理解されてこそ力となります。今回、学習会をきめ細かく開催したところほど取り組みが前進したことは教訓的でした。都政問題の学習、宣伝を日常的に行うことが重要です。
 同時に、石原氏の去就がぎりぎりまで引き延ばされ、石原都政の悪政の暴露や告発の宣伝が不十分だったことは否めません。今次都知事選挙の重要な教訓です。また、政策をわかりやすく宣伝することは独自の努力が必要でした。
 政策をパンフレットとして20万部活用した新しい経験は貴重な到達点でしたが、課題別、地域別、分野別の要求と結びつけた政策と宣伝をさらに重視する必要があります。

③新たなコンテンツとしてツイッターやフェイスブックという新たなメディアが登場する初めての都知事選挙となりました。このインターネットを活用した政策や選挙戦に対応するため、ホームページをリニューアルし、小池WEBサイトをつくり、記者会見や集会の動画や同時中継を配信したことは、新たな層への政策の伝達と支持の拡大に欠かせない役割を発揮しました。WEBサイトへのアクセス数は、69,457回、訪問者は、53,666人に達しました。今後のたたかいでは、ネット媒体のこれまで以上の活用を研究し、態勢も強化することが不可欠となっています。

④広範な共同を構築するために、反貧困ネットワークや「9条の会」、都立3小児病院廃止反対の連絡会の運動や、「都民要求実現全都連絡会」との共同行動を進めてきました。
 しかし、各界の人々が結集し、都知事選挙で都政転換をめざす「共同(懇談会)」の取り組みは、候補者擁立の困難もあって、十分成功しませんでした。「革新都政をつくる会」の参加組織の枠を超えた広範な各界の「共同」を作り上げて選挙戦をたたかうことは、広範な都民の参加、都民に見える選挙としていくためにも重要でした。今回の 教訓を必ず次回に生かし、早期の「共同」の実現をめざして取り組みを進める必要があります。

⑤候補者擁立について、「会」は「反貧困」や「9条の会」などの運動を進めている分野の中から、都政を転換し、立ち位置がしっかりしており、広範な都民の支持を獲得できる人を擁立するため、1年前から本格的な取り組みを行ってきました。しかし、政権交代をした民主党と都議会民主党の変質が急展開に進む情勢の中、年末から年始にかけてぎりぎりまで力を尽くしましたが、立候補の決意と擁立は実現しませんでした。
 その結果、告示2ヶ月前のタイムリミットを前にして、小池あきら氏に無所属での立候補を要請し、都知事選挙をたたかいました。もし、この段階で石原都政の転換をめざす候補者を擁立できなければ、都知事選挙の歴史上、重大な禍根を残すことになりました。
 都知事選挙における候補者擁立は最大の課題であるが故に、最も難しい課題です。
 政治的妨害を排除し、候補者として勇気をもって決意を固められるようにするためには、強力な基盤の構築が必要です。同時に、候補者擁立のための団体・地域のとりくみ、労働組合や諸団体が総結集できる選挙体制の構築、また都民が共感を広げ、参画する選挙にしていくための戦略も求められます。
今後に向けての教訓として、広範な「共同」をもとに、大衆的に候補者を擁立する方向を具体化できるように取り組むとともに、代表世話人会のリーダーシップのもとに、早い段階での候補者擁立をめざすことが重要です。

⑥今回の都知事選挙は特異といえる状況が重なり、候補者を決定してからの選挙戦のたたかいも短期間であり、「革新都政をつくる会」に結集している団体や地域での取り組みも様々でした。
 要求選挙、組織拡大選挙と位置付けて都政政策の学習会や小集会を徹底して取り組んだ組織、対話、支持拡大目標や知事選カンパ目標の追求、事務所開設、独自の宣伝計画など構えを大きく取り組んだ組織、候補者の組織推薦に困難を抱えながら、宣伝・支持拡大に取り組んだ組織など厳しく困難な選挙戦に各組織が奮闘しました。
 同時に、今次都知事選挙においては政治状況や政治構造の変化などとともに、各団体の要求実現をめざすたたかいと結合した都知事選挙の職場討議の困難な状況や、構成員・役員の世代交代、労働組合の組織率の低下など団体・組織それぞれの課題が浮き彫りになりました。今後に向けて、選挙戦における組織的なとりくみの現状と課題、その強化について積極的に検証することが求められています。

⑦今回の都知事選挙で、青年が自らのくらしや雇用、震災や原発問題に対して、ガチトークや集会を組織し、ネットを活用し積極的に政治戦に参加した取り組みが行われました。今後に繋がる取り組みとして積極的に強化するとともに、都知事選挙を次世代に継承していくことが求められています。

⑧都知事選挙を支える財政活動でも変化が生まれています。都政政策パンフレットの普及に合わせた募金活動が広がり、また個人募金活動として郵便振替による募金を呼びかけたところ、大きな協力を得ています。今後、団体・組織によるカンパの取り組みとともに、新たな財政活動を広げていくことが大切です。

 今次都知事選挙は、東日本大震災によって「人生観がかわった」という声があがり、この国と都政のあり方が問われる中での選挙戦となりました。震災救援・復興、原発過酷事故の収束、原発からの撤退をめぐるたたかいは、全国民・都民の今と未来のかかった長期の歴史的な大闘争となります。
 都知事選挙を経て、石原都政が継続しますが、引退を翻して政策もなく立候補した石原知事は、「同じことをやるだけ」と述べ、行き詰まった都政を打開する展望を示すことができません。引き続く「構造改革」路線のもと築地市場移転、オリンピック再招致、原発推進を唱える石原知事による都政は、都民の願いとの矛盾が深まることは必至です。
 石原都政の転換でいのちを守る福祉・防災都市東京へ、その実現をめざす「対抗軸」の強力な構築が求められています。
 いま、都民・国民は、今日の危機打開を強く求め、労組・民主団体・市民運動は自らの要求実現と一体に政治の変革を強く求めています。そして、都政転換を推進する運動の要の位置にいる「革新都政をつくる会」の役割が問われています。
 その任務を果たすために、「会」は都知事選挙で都政転換をめざす大衆的政治組織としての活動と体制等を積極的に検証し、前進することが求められています。
 「会」は、新たなたたかいを直ちに開始します。今次都知事選挙において、私たちが大震災の真っただ中で、いのちとくらしを守る都政をめざしてたたかったひとつひとつのとりくみは、発展の途上です。さらなる広範な共同の拡大、基本政策の検証と発展、次期都知事選挙をたたかう候補者の準備は、直ちに始動させる課題です。
 この国と都政の在り方が問われる激動の情勢の下、これらの課題を国民的大運動の発展と結び、  「2013年選挙イヤー」を照準に推進します。
 都知事選挙の総括を深め、教訓を明らかにして、石原都政に終止符を打ち、都民要求実現、いのち・くらしを大切にする「新しい福祉・防災都市、東京」への転換めざして力を合わせて頑張りましょう。

Ⅱ 2011年活動方針(案)
1.都知事選後の都政をめぐる情勢

(1)東日本大震災、東京電力福島第1原発の過酷事故から9月で半年。震災の救援・復興は、多くの困難を抱え、原発事故は国内外で深刻な影響を広げています。この未曾有の困難をのり越えることは、この国のあり方を問う重大な課題であり、国民・都民はいま、希望が持てる新しい政治を強く求めています。
 2年前の都議選とそれに続く総選挙による自民党からの「政権交代」で国民が期待した民主党政治がすすめてきた政治は、どの問題をとっても構造改革・日米同盟回帰の自民党政治であり、国民の期待は、いまや不信と怒りに変わっています。同時に、党略的な政権攻撃にあけくれる自民党に対しても批判が強まっています。なにより、未曾有の惨害の中で、被害者そっちのけで政争・内紛を続ける「二大政党」の姿に、国民はあきれはて、不信を募らせ、世論調査でも「支持政党なし」が急増しています。
 わずか2年で鳩山、菅政権が行き詰まり、国民不在の民主党代表選挙により9月2日、野田新政権が発足しました。石原知事は、「(代表選挙で)たったひとりだけ増税とはっきり口にした」「彼には自分の言葉がある」などと述べ、期待を表明しています。
 その野田佳彦新首相は、被災地より先に財界団体を回り、組閣より先に自民党・公明党との党首会談を行いました。野田新首相は、かねてからの大連立論者であり、消費税増税、憲法「改正」、侵略戦争美化の歴史観の持ち主です。「野田佳彦、わが政権構想」(文藝春秋2011・9)では、原発再稼働、原発輸出、「社会保障・税一体改革」推進、「日米同盟は最大の資産」そして「最大の課題は与野党協力」「マニフェストも聖域なく見直す」と述べています。
 民主党・自民党・公明党の「大連立」によるこれら最悪の「政権構想」具体化の動きを断じて許してはなりません。震災と原発の問題、消費税問題、TPP問題、米軍基地問題、議員定数削減問題、憲法審査会始動の企みなど、あらゆる分野で国民との対決は激しさを増すことは、必至です。同時に、石原都政は、野田政権が進める「社会保障と税の一体改革」、地方自治体破壊と一体に都民・職員犠牲の石原構造改革をさらに推進しようとすると見なければなりません。都政転換をめざす活動と国民運動を固く結合して、悪政を許さず、都民・国民のいのちとくらし、平和を守るたたかいを大きく発展させましょう。

(2)都知事選挙後最初の都議会・第2回定例会(6月17日開会)の所信表明で石原知事は、構造改革・大規模開発路線を継続する「10年後の東京」計画の改定を表明し、大震災の支援や防災計画の補正予算を提案するとともに2020年夏季オリンピックの招致を表明しました。
 石原知事は、失敗した2016年オリンピック招致で150億円も無駄遣いし、自身も豪華海外出張を行い、都民の厳しい批判を受けています。何より、大震災救援・復興へ総力を上げ脱原発、防災計画の抜本見直しを求める都民の願いに背くものです。トップダウンでの不急のオリンピック再招致に、都民から厳しい批判の声があがっています。
 また石原知事は、これまでも原発推進、日本国憲法を敵視する発言を繰り返してきましたが、4選後も原発推進を唱え、「核武装・軍事政権・徴兵制求める発言」(6月20日)を行い、8月15日には靖国神社参拝を行いました。また、東京都教育委員会は、侵略戦争を賛美する歴史・公民の教科書を都立中高一貫校、特別支援学校に採択しました。こうした憲法否定の暴言、強行に広範な都民・国民から批判・撤回を求める声があがっています。そして原発からの脱却、いのちと健康を守る運動はうねりとなり、核兵器廃絶・平和運動が大きく広がっています。
 憲法改悪の策動を許さず。いまこそ憲法をくらしと行政のすみずみまで生かす都政への転換が求められています。
 第4期石原都政に終止符を打ち、都民要求実現、都民のいのち・くらしを守る流れを強く大きくするために都民の声を大きく結集しましょう。2013年7月の都議選は、都政の流れを変える大きなチャンスです。

2.石原都政に終止符を打ち、都政転換で「新しい福祉・防災都市、東京」の実現をめざします

 原発問題は、長期にわたってこの国と東京のあり方のかかった根幹の課題です。原発から撤退し、持続可能なエネルギーに今こそ国民の声で政策の転換を実現していくたたかいを機軸に、防災に強い、くらし、いのち、雇用、福祉、教育、中小企業、環境を守る「新しい福祉・防災都市、東京」の実現を掲げて都民世論を広げ、都民犠牲の構造改革・大規模開発を推進する石原悪政の実態を告発・宣伝し、都政転換をめざします。

(1)政策活動を重視します。
 石原都政は、国際競争力の向上、防災対策、エネルギー政策を柱とする「2020年の東京」「実行プラグラム2012」(仮称)を策定し、オリンピック招致を梃子に構造改革路線を突き進めようとしています。また、「東京都防災対応指針」計画を11月を目途に策定します。
 「会」は、3・11後の新たな情勢と野田内閣の発足による国政の変化をふまえ、都民の不安、新しい政治への期待にこたえる実現可能な都政政策づくりを推進します。
 その土台に、都知事選挙のたたかいを経た「新しい福祉・防災都市、東京」を置き、原発・放射能ゼロにむけた政策や防災政策を重点に、都民の立場から検討・研究を深め、明らかにしていきます。
 2012年の東京都予算のたたかいをふまえ、学習会とたたかいの前進のために2012年「革新都政の会」の基本政策を作成します。

(2)広範な都民運動との連携・共同を一層前進させます。
 「都民要求実現全都連絡会」「都民生活要求大行動実行委員会」をはじめ、くらし、雇用、医療、保育、年金、教育、環境など都民要求実現をめざす都民運動、各界・各層・地域の都民との連携・共同の結びつきを、さらに強めます。
 都民運動の発展を土台に、要求実現を具体化するために、財政問題の検討及び2012年度都予算案の検証をおこない、都に対して都民本位の予算への転換を求めます。
 直面する原発問題、防災、築地市場、新銀行東京、医療など都政問題についての講演会・シンポジウムを実施します。
 また、都議会定例会開会日には、都民宣伝、開会日行動にとりくみます。

(3)都政転換をめざした共同の「懇談会」(仮称)の実現をめざします。
 都知事選挙でご支援をいただいた各界の多くの著名人のみなさんの都政転換への思いを次回の都知事選挙で生かしていただき、さらに広範な「共同」の実現のために努力します。

(4)候補者擁立をめざして、直ちに取り組みます。
 都知事選挙の教訓を踏まえ、直ちに候補者選考委員会を設置し、代表世話人会の責任で早期擁立をめざします。

(5)宣伝・学習活動を強化します。
 「都政は国政より遠い」といわれる状況の中で、石原都政の悪政の実態、都政の動きが都民にも構成員の中にも十分に知られていません。
 都政問題学習資料の発行、全都的都民宣伝を計画します。
 また、次期都知事選挙めざして、メディア戦略の研究、ホームページの充実をはかります。

(6)組織体制の充実、強化をはかります。
 都知事選挙で奮闘した青年の取り組みをさらに発展させ、次世代への継承を重視します。
 「会」の組織としての強みである「地域の会」の活動を前進させるために、日常的な連絡体制を強めます。
 代表世話人会を定期的に開催し、とりくみの方針を確定し、事務局の活動を強化します。
 同時に、各分野の活動を攻勢的に推進するために、政策委員会、組織委員会、編集会議を構成・設置します。
 また、都政問題を伝え、都民運動を結ぶ機関紙「都民がつくる革新都政」の普及、活用を呼びかけます。
 「会」の財政は、個人・団体の会費の他、個人の寄付金、募金で賄われています。
 会の財政確立をめざし、参加組織の拡大及び個人募金を呼びかけます。

第2号議案  会計報告
第3号議案 「革新都政をつくる会」の体制について


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