~連載(第16回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年⑭ 都庁舎新宿移転
2019年10月17日


 鈴木都知事が、140事業、約11兆円7000億円の事業としてかかげた「マイタウン東京構想」。その目玉の一つがシティ・ホールでした。
 鈴木知事はこの構想を具体化するために、知事就任直後に「マイタウン構想懇談会」を設置。そのなかの「コミュニティ部会」でシティ・ホール建設の提言を1980年にまとめ、2年後には「シティ・ホール建設構想懇談会」を立ちあげ。旧庁舎のあった丸の内と副都心開発がすすむ新宿(西新宿)の活用がうちだしました。
 その後、1984年に設置された「シティ・ホール建設審議会」ではシティ・ホールの機能として行政機能、文化機能、広場機能などが必要としたうえで、都民ホールは本庁舎・議会棟とは別に立地させることなどを答申。立地については知事の判断としました。
 これを受けて鈴木知事は本庁行政機能を新宿に移し、都民ホールについては国際フォーラムとすることとして丸の内に配置する「東京都庁舎の位置を定める条例」を都議会に提案しました。

バブルの棟・新庁舎

 西新宿に配置された新都庁舎は、当時、国内で最高の高さ243mとなる第1庁舎及び第2庁舎、議会棟、都民広場をあわせた合計敷地面積が4万2940㎡に及ぶもので、建設費は当初、1365億円とされていたものが、度重なる設計変更で1569億円にも膨らみ、移転費用を含めると1600億円を超え、都民から「バブルの棟」「タックスタワー」ときびしい批判をあびるものとなりました。
 鈴木知事は都庁舎の新築移転の必要について「本庁舎の老朽、分散、狭あいの現状を打開」することをあげましたが、旧都庁舎はまだ、30年、50年も使えることが指摘されていましたし、丸の内から新宿に移転することについても都民的合意は形成されていませんでした。

 丸の内地区の再開発が着々と進んでおり、都庁舎のある一角のみが周辺とそぐわない景観を呈している。
 丸の内地区の現在の本庁舎地域のこの地区にふさわしい再開発と申しますか、活用が図られるべき
鈴木俊一都知事

 鈴木知事の本音は、財界・大企業の要望に応えて庁舎を移転させ、丸の内の再開発の「起爆剤」にするというものだったのです。
 また、新庁舎建設は利権の温床となりました。新庁舎の設計は鈴木知事の盟友であり、知事の選挙の確認団体である「マイタウンと呼べる東京つくる会」の代表を務めていた丹下健三氏に委ねられ、建設は鹿島、大林組、大成建設、清水建設、竹中工務店などのスーパーゼネコンが受注。外壁にイタリアから輸入した高価な石材を使用、知事が執務するフロアは天井2階分ぶち抜き、1千坪の広さに大理石張り、シャワー、バルコニー付という超豪華なものとされ、事業費が膨れあがっていくことになったのです。さらに副知事が新庁舎に出店する企業のゴルフ接待を受けるという業者と都庁幹部との癒着・腐敗も生れるにいたりました。
 また、新都庁舎移転によって新宿地域の地価が暴騰。わずか4年の間に4倍にもはねあがり、最上興産などの地上げが横行。都庁新宿移転が東京の地価狂乱の引き金となったのです。

都心再開発の起爆剤

 一方、「シティ・ホール構想」で「文化機能」を担うとされた「国際フォーラム」は、「首都であり国際都市である東京の都心にふさわしい、高度な国際性と文化性をもった新しい東京の顔」をもつものとされ、巨大なガラス棟など贅沢を尽くしたものとして計画され、建設費は都庁を上まわる1647億円にものぼったのです。

移転の見返り施設

 都庁の新宿移転は都心周辺の各区から強烈な反対を招くことになりました。その対策として鈴木知事は、移転の見返り施設の建設を約束しました。
 江戸東京博物館は江戸城天守閣に高さをあさわせることで巨額の建設費が必要となる高床式の構造を採用することで590億円。現代美術館では地震対策だとして、100億円もかけて地下に建物敷地いっぱいの厚さ10mのコンクリート基盤を造成する浮舟構造とすることで415億円もかけるなど、湯水のように税金を投入したのです。
卯月はじめ

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