~連載(第12回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年⑩ 福祉…「普遍主義」から「選別主義」への転換
2019年4月15日
真の福祉とはなにかとのお尋ねでございますが、私は、(略)基本的には精神的、肉体的あるいは社会的な障害などにより、その社会的自立を阻害され、しかも自力によってはそれを回復し得ない人に対し、自立を援助助長するための施策の体系であると認識しております。鈴木俊一都知事(1979年第4回定例都議会・本会議)
全国をリードする福祉施策を展開し、国をも動かして「住民の福祉の増進」の実現につとめた革新都政を襲って、東京都知事に就任した鈴木俊一知事。その知事が革新都政と都民運動が築きあげた福祉施策の方向を180度転換するうえで展開したのが冒頭の「真の福祉」論でした。
これは1834年にイギリスで制定された「新救貧法」に起源をもつ「選別主義」の理念を背景にしたもので身分、階級、資産、所得、貧富などの社会的条件の相違によって受けられる福祉施策が選別されるという考え方にもとづくものです。
当時のイギリスでは、市民の諸権利の獲得運動を背景に、福祉サービスなどの社会的諸サービスを「市民が社会権として普遍的に受け取ることのできるサービス」(以下引用・秋元美世・2015)と位置づけられるようになっていましたが、あらたに制定された新救貧法では「生活個人責任」という考え方がうちだされ、生活の個人責任が負えない人=自立できていない人=救貧者は、市民として認められず、「救貧法での劣等処遇原則を通じての自立の強制(すなわち、劣悪な処遇をあたえることによって、救済を受けることを自発的に躊躇させ自立を強制する)を試み、それでも救貧法の救済を受ける者に対しては、市民社会からの排除」といった「選別主義」にもとづく対応がとられることになりました。
また、新救貧法では「貧窮者の生活は、労働して自活する最下層の労働者の生活より低いものでなければならない」とされたのです。
そしてその一世紀半後、鈴木都知事は「介護する人がいない寝たきり老人及び重度の障害者に対するホームヘルパーの制度や、家庭で介護や養育することが困難な老人や障害者、児童の社会福祉施設への入所措置など」を「真の福祉」の典型的な事例としてあげ、
「選別主義」を都政に持ちこんだのです。
これに対して革新都政がよってたった理念は、新救貧法の解体をめざした人々が展開した「ニーズに即した普遍的なサービスの保障や窮乏予防の組織化によるナショナル・ミニマムの保障など、施策の対象を貧困層に限定しない制度」の実現=「普遍主義」というもので、第2次世界大戦後の欧州で福祉国家として開化したものです。
福祉切下げの3原則
鈴木都知事は選挙にあたって「美濃部都政の福祉は受け継ぎ、財政難を理由に水準切り下げはしない」と公約することで知事の座を得ましたが、「真の福祉」論という「選別主義」を都政にもちこみ、都民の世論と運動で制度は守られましたが、革新都政の福祉を「バラマキ」などと攻撃することで、都民のための福祉を後退させてしまったのです。
さらに鈴木都知事は、①都独自の手厚い補助を見直し国基準にそろえる、②受益者負担原則のもとに福祉を有料化、値上げをくりかえす、③福祉の人員は絶対増やさないーという三原則を都政に押しつけました。その原則にもとづいて知事就任後、真っ先におこなったのが革新都政が1972年から実施してきた敬老パス(高齢者のバス無料乗車証)への所得制限導入です。これによって7万5000人の高齢者が無料パスをとりあげられ、必要とする人には有料パスが押しつけられたのでした。
鈴木都知事の福祉切りすては老人医療費の有料化(別表)をはじめ敬老金の据えおき、国保補助金の切りさげ、福祉職員の抑制など多分野におよび都民生活におおきな影響を与えるものとなりました。
卯月はじめ