~連載(第11回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年⑨ バブルの落とし子世界都市博
2019年2月22日


 紆余曲折をへてようやく臨海副都心開発の「基本計画」が策定され、東京臨海副都心開発の「最終報告」の発表にたどり着いた1988年春。東京都庁に激震が走りました。
 それは鈴木都知事が突然、「首都圏での博覧会開催」の意向を表明。当時、江戸開府400年の記念事業を検討していた「東京ルネッサンス企画委員会」が発表(9月)した「最終報告書」で「東京世界都市博覧会の開催」を提案したことによるものです。
 さらに、鈴木知事は、知事の私的諮問機関として「東京世界都市博覧会基本構想懇談会」を立ちあげ、その委員長に、鈴木知事とは東京オリンピック、大阪万国博覧会で協力関係にあり、鈴木都知事の選挙の後援団体である「マイタウンと呼べる東京をつくる会」の会長をつとめていた盟友、建築家の丹下健三氏を迎えたのでした。
 この懇談会は翌89年には、「東京オリンピックや万国博覧会に次ぐ第3の国際行事」として「新しい都市づくりの運動東京フロンティア」(のち世界都市博覧会)を開催することを内容とした報告書を策定。その計画内容は、94年3月開幕、会期は300日、3000万人を動員。参加者のうち300万人を会場内(臨海副都心)のホテル・住宅に宿泊させるという大規模なものでした。

都市建設の現場が展示場


 その後、(財)東京フロンティア協会が設立され、そのもとで策定された「東京フロンティア基本計画」では、「19世紀の人々は、万国博覧会とオリンピックという素晴らしい国際行事を20世紀に残した。20世紀に生きる我々は、この都市フロンティアを、世界の人々の共感を得て、21世紀に引き継がれる国際運動として提唱し、これらに並ぶ第3の国際行事として広まることを期待したい」と述べ、鈴木都知事は「臨海副都心開発の第一段階が終了する1994年には、東京港連絡橋や新交通システムなど、主要な都市基盤施設が完成するほか、国際展示場、テレコムセンターなど、中核的な施設及び住宅、商業、業務機能の一部が完成するなど、新しい都市がその営みを見せ始める」として、「その始動期が終わりました時点で、臨海副都心を舞台に世界の英知を集め、多くの人々の参加を得て、建設途上の都市を体験し、21世紀のあるべき姿をともに考える場として東京フロンティアを開催」することとしたと表明したのです。

鉄とコンクリートの計画

 その企画は、丹下委員長の指揮のもとで、例えば、水と緑のネットワークの軸として計画されているシンボルプロムナードについて、「3層のコンクリート造りの人工地盤」「鉄とコンクリートの装置を総延長4キロメートルの規模で建設」(臨海副都心物語・平本一雄)することが要求されるなど、すでに決定され建設がすすめられていた臨海副都心の計画変更が求められ、「鉄とコンクリートの人工空間」(同)による都市づくりが大手を振って歩くことになったのです。
 こうして臨海副都心の開発を促進することが目的としてスタートしたプランが丹下委員長のもとで、その性格を変え、フロンティア計画が上位に位置づけられ、フロンティアにあわせたスケジュールが押しつけられるなど、臨海副都心開発の混迷と破綻に拍車をかけることとなったのです。
 そして、このバブル経済に便乗した計画は、皮肉にもバブル経済の終焉によって、パビリオンの出展企業のあいつぐ撤退、前売り入場券の不人気などに直面。立ち往生にいたりました。そして、都民のきびしい批判のもとで、青島都政のもとで中止に追いこまれることになったのです。
卯月はじめ

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