~連載(第7回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年⑤ 都市経営論
2018年8月15日


 鈴木都政が誕生する2年前の1977年。全国市長会の付属組織である日本都市センターのもとに、「新しい都市経営の方向」を研究することを目的にした「都市行財政研究委員会」が設置されました。そして、翌年には「新しい都市経営の方向」の中間報告(現状と課題)が策定され。鈴木都政誕生直後には、最終報告(今後の方向、あり方)が発表されました。
 研究会の委員長は、就任当時、首都高速道路公団理事長であった鈴木俊一都知事がつとめ、委員会の構成は学識経験者と横浜市・川崎市をはじめとする自治体の長とともに、自治省の部長・審議官など高級官僚が5名も占め、実際に作業にあたる専門委員には自治省と建設省(当時)の室長、課長級の官僚15名、幹事には自治省11名、建設省の1名の課長補佐などが配置されるなど、委員、専門委員、幹事の実に4割強が自治省と建設省の官僚によって占められていたのです。
 また、この研究会の資金は(財)日本船舶協会(笹川良一会長)の補助金によってまかなわれ、委員会には住民福祉に関わる厚生省(当時)や文部科学省はくわわっていませんでした。

「都市経営の憲法」

 都市自治体の経営について、わが国ではじめてまとめられた“唯一の教科書”“都市経営の憲法”というべきもの

新しい都市経営の方向


 「新しい都市経営の方向」は、1.「新しい都市づくり」、2.「住民参加」、3.「行財政運営」の見直しの3つの視点で構成されていますが、革新自治体が全国各地で住民本位の施策を推進し、自民党与党の自治体もこれに追随せざるを得ない力関係を反映して、各所に「人間が住み、働き、憩う都市のビジョン、イメージ」「地方の時代」「市民参加、コミュニティ、都市づくり」「自ら治める」など、ソフトな言葉がちりばめられたものとなっています。
 実質内容はマイタウン東京構想を代表例とする都市開発の具体化や市民参加を名目にした市民の下請化、福祉行政からの撤退にほかならず、加えて、財界・自民党が敵視していた保育所や公営住宅、低廉な公共料金などをやり玉にあげ、革新自治体がきずきあげた様々な施策を切崩す方途として、「行政の減量」「原価主義の徹底」「受益者負担の適正化」「民間委託の推進」「スクラップ・アンド・ビルド」「サンセット方式」などの手法を提示しています。
 具体的狙いは、「新しい都市づくり」でマイタウン東京構想に代表される企業都市づくりを「行財政運営」の見直しで、企業都市づくりを支える行財政運営の実現を意図したものであり、住民参加をキャッチコピーとした住民の動員と下請化による減量経営の実現にあったことは明らかです。
 結局、「新しい都市経営の方向」は、革新自治体を倒し、全国にひろがった優れた施策を解体するためのあらたな理論を構築するための書であったと言えます。

「原始的蓄積」の政治過程

 それはあたかも株式会社において経営者が株主から信託を受け、資本を預かって事業を経営し、株主総会がこれを監視するというのと極めて似たものである。このような発想、視点が従来の日本の自治には極めて薄かった
 市民も自治体に行政サービスを要求するだけで、それに必要なカネは自分達で調達するーつまり自分達が自治体に仕事を信託してそれに必要な経費は自分達が負担するーという意識がほとんどない
(略)自治の原点が欠落した状態になっているともいえる

新しい都市経営の方向


 全国の自治体の「教科書」「憲法」と位置づけられた「新しい都市経営の方向」は、この提言に続いて打出された第2次臨調=土光臨調、中曽根・民間活力活用路線と相乗することで、自治体破壊、住民福祉破壊の猛威をふるったのです。

 「財政再建」のより本質的な意味は、赤字から黒字への転換ではなく、美濃部時代の福祉中心の財政配分を払拭し、東知事時代の開発投資中心の財政配分への再転換(の過程)をするということであった。(略)これをほぼ五~六年で達成し、「マイタウン」の名による乱開発時代へ切り替わる。東京都知事 日比野登編

鈴木都政の「財政再建」は経済的行為というより、「マイタウン」乱開発のためのいわば「原始的蓄積」の政治過程だったと言える。同卯月はじめ

考証 革新都政 “東京に憲法と自治が輝いたとき”を読んで

 美濃部革新都政が誕生した1967年ころは、アメリカのベトナム侵略戦争が激化し、東京の米軍基地やホテルなども動員され、これらに広範な都民から厳しい批判と怒りが渦巻いている状況がありました。
 こうした背景の中で誕生した美濃部都知事は就任直後、都議会で「首都のなかに米軍基地があり、ベトナム戦争に参加する飛行機が発着していることに反対です」と表明、その後「立川基地拡張反対や米軍遊休施設の返還」に最大限の努力をつくしました。また、「東京都被爆者援護条例」(75年10月)、同条例の一部改正による被爆者二世の医療費公費負担(76年8月)など被爆者への手厚い援護措置もすすめてきました。
 とりわけ、美濃部都知事は核兵器全面禁止国際協定締結に強い関心を寄せ、第21回原水爆禁止世界大会(75年)、第22回同世界大会(76年)には連帯のメッセージを寄せるとともに、日本原水協がすすめた第31回国連総会(76年9月~)にむけた「核兵器全面禁止国際協定締結の要請書」に署名(本書に写し掲載)するなど、核兵器全面禁止・廃絶に尽力してきました。今日、国際社会と市民社会は共同して、核兵器禁止条約を50ヵ国以上の批准・発効めざして取り組みを強めつつあります。
 東京都政も美濃部都政が果たしてきた役割を生かして、広島市長、長崎市長を中心とした平和市長会議とも手を組んで、安倍政権に核兵器禁止国際条約支持するよう力強く求めるべきではないでしょうか。
 本書は、都民の民意を土台にして実現した革新都政を考証しています。本書ひろげ、民意に立脚した都政を実現するパワーにしていきたいものです。

柴田桂馬(原水爆禁止東京 協議会代表理事)
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