~連載(第3回)~ 検証 革新都政その後 鈴木都政16年① マイタウン東京構想
2018年3月15日


 私に期待された点は、東京オリンピックや大阪万博の当時のいろいろな事業をやった経験を生かして、都でも事業を大いにやれるようにしてくれという要請が基本にあると思う。
 日本経済新聞
 1979・04・10

 財界と支配層の用意周到な作戦が効を奏して誕生した鈴木自公都政。選挙戦では「破産寸前の都財政を再建し、マイタウンと呼べる東京をつくっていきたい」という公約をかかげ、「財政再建」と「マイタウン構想」を前面におしだした都政運営をすすめました。
 そしてその“マイタウン東京”について「安心して住めるまち」、「いきいきと暮らせるまち」、「故郷と呼べるまち」とであるとし、あたかも都民の要望に応えるものであるかのように描きました。
 しかし、その実態は、鈴木都政誕生の司令塔となった財界、大手デベロッパー・ゼネコンのもとめる都市改造・企業都市づくりにほかならず、やがて、“土地バブル”を招くことになったのです。

 革新都政から鈴木都政に変わってからわずか三年ほどしかたっていませんが、その間の都政の変わりようのはげしさは都民のみなさんが一番痛切に感じられていることでしょう。
 山本正雄日本福祉大学教授・(革新都政)新財源構想研究会座長


 鈴木都政誕生の半年後には財界主導、補佐役が国という官民一体の開発推進団体・「日本プロジェクト産業協議会=JAPIC」(注)が設立されました。
 そのJAPICは、1984年には「公共事業分野への民間活力導入に関する提言」を発表し、再開発や道路建設を民間主導でおこなうことやその考えにもとづいて推進する数々の大型プロジェクトをうちだしたのです。

財界・中曽根内閣・鈴木都政三位一体で推進

 また、1982年に誕生した中曽根内閣は、“民間活力の活用”を政策の柱にすえるとともに、私的研究会「経済政策研究会」(座長=牧野昇三菱総合研究所会長)をたちあげ、その報告書「これからの経済政策と民間活力の培養」では、
 ①国公有地の民間開発②公的企業の民営移管③各種規制の緩和④地下、海面、空中の利用を提案するとともに、民間活力を導入する具体的なプロジェクトとして、東京湾横断道路、首都圏中央連絡道、汐留地区の第2副都心計画、国電山手線や銀座・新宿周辺の高速道路の上部空間開発などを提唱したのです。
 マイタウン東京構想は、まさに、財界、中曽根内閣、鈴木都政の三位一体の東京改造計画にほかなりませんでした。

東京大改造の原点

 鈴木都政誕生とともに、都内では、赤坂・六本木地区再開発をはじめ西新宿六丁目地区、大崎駅東口地区、大川端再開発などが始動。森ビルによる六本木ヒルズや西新宿のヒルトンホテル、三井不動産による大川端リバーシティなど超高層ビルが林立することになり、中曽根民活の目玉事業としても新宿区戸山ハイツの国有地の払い下げによる民間超高層ビルの建設などもすすめられました。
 さらに多摩地域では国の首都圏整備計画と連動して「多核多心型都市構造への転換」が提唱され、立川や八王子の「業務核都市構想」やそれをささえるアクセス道路(圏央道・外環道・東八道路など)の建設に拍車がかけられることになりました。
 この鈴木都政による同時多発的な開発路線は、以降の都政にも引きつがれ、小池都政のもとでは「スマートシティ」などのあらたな装いのもとで加速させられています。
(注)大手鉄鋼・セメント・電気メーカーをはじめゼネコン・デベロッパーなど十九業界・百八十二社で構成
 卯月はじめ
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