~連載(最終回)~革新都政12年 都民が主人公の都政をふたたび
2017年11月15日
わたしたち国民は20年前、戦争へのきびしい反省のうえに、平和と民主主義を基本原則として新憲法を制定し、日本の再建を誓いました。
その後、今日にいたる間、憲法をめぐって曲折も見られました。しかし、私たち国民は、この憲法を堅持し得ただけでなく、さらにその基本原理である平和と民主主義を、いっそう発展させ得る条件きずきあげてきたことを誇りと考えます。
とくにわたくしは憲法の規定する「地方自治の本旨」に注目したいと思います。
国民生活の基盤と民主主義の土台は自治体にあります。
1967年憲法記念日メッセージ 美濃部亮吉
美濃部都政が幕を閉じてから38年が経ちました。
その間に、鈴木・青島・石原・猪瀬・舛添・小池の6人の知事が誕生。その6代の都政をふり返ると、青島都政時代に若干の変化は見られるものの、共通する特徴は、財界・多国籍企業のための都政、自民党型都政運営、地方自治の放棄―であり、「都民が主人公」「憲法をくらしに活かす」という、地方自治の精神が忘れさられた都政であったということができるのではないでしょうか。
鈴木都政・四期(1979年~1995年)
民間活力活用路線を都政に持ちこみ、臨海副都心や豪華庁舎に税金をつぎ込む一方、「臨調行革」で“福祉の時計の針をストップ”
青島都政・一期(1995年~1999年)
福祉施策を根こそぎにする「財政健全化計画」を策定するも、都民の激しい反対で撤回。世界都市博覧会を中止。
石原都政・四期(1999年~2012年)
福祉を敵視、“福祉はぜいたく”といって、「財政再建推進プラン」を策定。老人医療費無料化や公私格差是正事業などの都民のための施策の切りすて、清瀬小児病院、福祉作業所、勤労福祉会館など都民施設を150カ所以上廃止するなど“福祉の時計の針を逆戻り”させる。東京メガロポリス構想など東京改造・都心一極集中を促進。憲法を否定。
猪瀬都政・任期途中辞職(2012年~2013年)
アベノミクスの“キャッチャー”を自認。石原都政を継承し、オリンピック最優先、都民の生活と健康おざなりのビジョン策定。外環道などに税金をつぎ込む一方、特別養護ホームや認可保育所の増設要求に背を向ける。
舛添都政・任期途中辞職(2014年~2016年)
石原都政を継承。東京を「世界一ビジネスのしやすい都市」にすることを掲げ、高齢者介護、子育て、貧困と格差などの切実都民要求はおざなりにする一方、アベノミクスに連動する「東京大改造計画」を推進。子育てなど財界戦略の枠のなかでの都民との矛盾の調整。
小池都政(2016年~)
石原~舛添都政を継承。「都民ファースト」を掲げ、アベノミクスの目玉施策・国家戦略特区や東京大改造計画を推進。
いま、安倍政権は憲法改悪と戦争をする国づくりの道をまっしぐらにつきすすんでいます。また、アベノミクスのもとでの格差と貧困、社会保障の連続改悪と負担増、多国籍企業のための規制緩和など、国民の苦しみは増すばかりです。
こうしたとき、「住民の福祉の増進」を責務とする東京都が、安倍暴走とに立ちむかい、都民のくらしと営業を守るために全力をあげることが求められています。
にもかかわらず、小池都政は、アベノミクスに全面協力の姿勢を示し、国家戦略特区での規制緩和と都心三区を軸とした超高層ビルの都市再開発を推進。都議会での多数与党の確保以降は、築地市場の豊洲移転強行、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付中止など都民世論無視、タカ派姿勢を鮮明にしてきています。そもそも小池知事は、日本会議国会議員連盟の副会長を務めた憲法改正論者であり、過去には、日本の核武装を主張したこともある右派勢力の旗手です。先の総選挙では、党首をつとめる希望の党の政策に憲法改正を掲げており、その本質は安倍首相と変わりありません。
力をあわせ都政転換を
私たち革新都政をつくる会の出発は、1967年に革新都政を誕生させた「明るい革新都政をつくる会」(以下、明るい会)です。
この明るい会の伝統をひきつぎ、各都知事選挙をたたかい、2016年の都知事選挙では、野党と市民の共同での選挙に参加し、鳥越俊太郎氏を候補者に、その勝利に全力つくしました。
いま、安倍暴走政治が国民生活にかつてない苦しみをもたらし、小池都知事がこれと連動して、暴走政治を都政に持ちこもうとしている時に、これにストップをかけ、都民が主人公の憲法がくらしのすみずみにまでゆきとどく都政を実現することが、私たち課せられた責務です。