~連載(34)~革新都政12年 革新都政が挑んだもの ―課税自主権~財政戦争―
2017年9月15日
 美濃部都政の第二期と第三期は日本経済が大きな曲り角に立った時期と一致する。高度経済成長とそれを支えていた構造とが転換点に立っていた。
 革新知事 日比野 登

 戦後、右肩上がりの急成長を遂げていた日本経済。
 しかし、1970年代に入ると、世界の基軸通貨国であったアメリカが突然、米ドル紙幣と金の兌換を停止し、為替の固定相場制を変動相場制に転換する政策転換を実施、世界経済に大打撃をあたえるドルショックが発生するとともに、第四次中東戦争に端を発する二次にわたるオイルショックが日本経済を直撃。不況と物価上昇が同時に進行するスタグフレーションに襲われることとなり、都財政も大打撃をうけることになりました。
政府や自民党は、“ばらまき福祉が財政危機の原因”などと革新都政に対する攻撃を展開しましたが、事実は、不況による税収減と物価高騰にくわえ、国の革新都政つぶしの一環としての財政攻撃にその原因があったことは明らかです。

自民党政府の財政攻撃

 第一に、地交付税制度を悪用した締めつけです。国は、東京都が豊かであるといって交付税を不交付とするともに、大都市固有の財政需要を認めず、各種事業費のもとなる算定基準を低くするなどの攻撃をおこないました。

 地方交付税制度にしても、都は財政状況が非常に悪いときにも一貫して不交付団体でした。自治省は、交付税制度というのは都を不交付団体にしておくがゆえに存立する制度であるといっています。
 証言 みのべ都政・本間実

 第二に、国は財源配分上、東京都が当然、当然受けてしかるべき国庫支出金、地方譲与税を減額し、税制についても不利益な扱いを実施するなど不合理な財源調整を押しつけていました。
 第三に、国が事業費の単価を実際よりもずっと少なく見積もることで生じる超過負担のおしつけです。東京都は物価や人件費が高いため、超過負担の影響は甚大でした。
 第四に、学校などの公共施設を建設するための起債を国が不当に制限することでした。

課税自主権のたたかい

 霞が関ビル一棟分ふえることによって、鉄道、住宅、道路などの社会資本の建設費が350億円以上必要だとされています。
 議会と自治体73年6月号

 東京都は首都としての役割、一極集中に対応するインフラ整備など、他の自治体とは比較にならない財政を必要としました。このため、革新都政はこれらの需要への対応と経済破たんによる税収減の解決、都民施策の拡充のために、課税自主権にむけたとりくみを開始しました。

(財政自主権をかちとる)
 戦いを財政戦争と呼ぶなら、それは自治体が真の主体性を確立するための独立戦争であるといえるでありましょう。
 ・美濃部都知事、1975年第4回定例都議会・所信表明

 革新都政は1972年に「新財源構想研究会」を設置し、①法人事業税、法人都民税の引きあげ、②固定資産税の適正化、③法定外普通税としての高速道路適正利用税、④法定外普通税としての公害防止税、⑤開発利益の還元と都市開発協力金ーを柱とした「第一次報告」(73年一月)を策定。
 法人事業税の超過課税(法定税率に上乗せ)と中小企業への軽減を全国に先駆けて実施するなど、課税自主権の実現につとめました。

 集積の利益を出している企業がさらに「集積の不利益」を出しているので、その不利益を排除する費用に応分の負担をお願いするという理論構成によって実施したのです。
 証言 みのべ都政 吉井真

 いまこうして高齢者手当や身障者手当をもらう側に身を置いて見ますと、美濃部さんが当時かなり無理をしながらも福祉水準を引きあげたことの意義を日々感じます。
 同

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