「教育勅語と安倍内閣」 何が問題か?
2017年6月15日
「森友学園」「加計学園」と、学校教育を舞台に繰り広げられる安倍内閣の政治スキャンダル。そこには「美しい国」を掲げて愛国心教育を進める権力者に群がる人々の、権力者の意向を「忖度」する態度が浮き彫りにされています。それは「教育勅語」を用いて「徳育的価値」を暗唱によって刷り込み、自分の頭で考えない、体制に素直に従う順応な人づくりをすすめる手法と見事に一致しています。
安倍内閣は3月31日、教育勅語を「憲法・教育基本法に反しないような形で」「教材として用いることまでは否定されることではない」との閣議決定を行いました。この決定は、「教育勅語は憲法違反ではない」という政府の宣言を意味します。戦後70年間一貫してきた政府の立場を大転換させたものです。
森友学園の幼稚園での「園児に暗唱させる」という異様さが注目されましたが、この閣議決定は、教育勅語の教材活用が日本中の各学校でも行われる懸念を高めています。
教育勅語とは
教育勅語(1890年)はその前年の大日本帝国憲法発布(1889年)によって主権者となった天皇が、「臣民(国民)」に守るべき道徳の規準を示したものです。過去から未来にわたる天皇と国民の道徳的一体性(「国体」)を強調することで、国家の一大事には天皇のためにいのちを投げ出すことを最高の道徳的価値として、これをすべての国民に求めたものです。戦前の道徳教育「修身」教科書の柱となり、「奉読」「暗唱」などの方法で徹底された教育勅語は、学校教育を通じて、国民の心を支配し、丸ごと戦争に動員していきました。
国民主権の日本国憲法とは全く相いれないものですから、その一部分を切り取って、「いいことも書いてある」などと評価し、あたかも憲法の精神と一致するかのような扱い方をすることは、子どもたちに「教育勅語」に対する誤った認識を育てることになってしまいます。
「いいことも書いてある」は本当?
「教育勅語にはいいことも書いてある」とするひとは、「父母に孝に、兄弟に友に、夫婦相和し…」などの部分をあげています。
「親孝行、兄弟仲良く、夫婦が仲睦まじく」は悪くない。「だから教育勅語はいい」というところに大きな論理の飛躍があります。
「父母に孝に」と「親孝行をすること」は全く同じものではありません。勅語は、天皇から下された国民が無条件で守るべき規範であり、法による秩序維持を補完するものだからです。
例えば、「兄弟に友に」は、戦前の戸主制度の下で、次三男は財産どころか結婚も保障されないという兄弟の法的不平等を前提に、それでも争いをするなという道徳義務を課したものです。
「夫婦相和し」も、女性には参政権もなく、女性だけに姦通罪が適用され、女性からは離婚も出来ない不平等を、無条件に受け入れさせる道徳規範です。
基本的人勧が保障されなかった時代に、人権について考え、学び、その獲得のためにたたかうことを押さえる規範としてこれらの徳目があったことを問わずに、「いいこと」として教えることは、真の人権教育をゆがめることになります。
教育勅語を教材として使うことは、歴史の事実として批判的認識を育てるために扱う以外には、あってはならないことです。