~連載(31)~革新都政12年 公営ギャンブル廃止―
2017年6月15日
 日本のギャンブルは自分や家族の生活をかけてやっている、これは罪悪だ。
 美濃部亮吉都知事

 賭博が刑法で禁じられているのは、その行為自体が悪だという社会的合意があるからであろう。そうした賭博行為を都が公然とやり、その寺銭で行政を行うというのでは、都政自体が不法化して都民の信頼を得られなくなるのではないか。
 都知事12年美濃部亮吉回想録

 戦後の公営ギャンブルは、戦後復興の財源対策の応急措置として、国が地方自治体の開催を認めたことからスタートしたもので、地方自治体の財政難を背景に、1946年の競馬再開から競輪、オートレース、競艇へと拡大しました。
 東京における公営ギャンブルによる収入は、東京都が約100億円、歳入総額1.6%といわれ、特別区も歳入総額の2.1%にあたる約45億円、多摩の各市(開催市)では歳入総額の11.7%にあたる約76億円にものぼっていました。なかでも、府中市、立川市、青梅市は公営ギャンブルの依存度が高く、それぞれ歳入の28%、27%、青梅市にいたってはなんと53%。歳入の過半がギャンブルの収入で占められていました。
 一方、ギャンブルの弊害は、ギャンブル依存症による生活破綻、家庭の崩壊、青少年への悪影響、さらには、全国で八百長事件が頻発するなど社会問題化し、1959年に発生した松戸競輪場騒擾事件をきっかけにギャンブルに反対する世論と運動がたかまりました。
 革新都政は、1969年1月に都営ギャンブルを廃止することを表明。ただちに「東京都競争事業廃止対策審議会」と「競争事業廃止対策本部」を設置し、とりくみを開始しました。
 そして革新都政は、廃止までの収益を基金に積み立て、これを業者の営業補償にあてるなど、税金を使わずに廃止を実現しました。
 この革新都政の決断に対して、主婦連などの婦人団体は大歓迎の声をあげ、都民も世論調査で68%(毎日新聞)が廃止を支持しました。一方、事業を運営している団体やこれらの団体に天下りしている都の幹部職員などは既得権を主張して反対、激しく抵抗しました。
 後楽園競輪とオートレースは廃止されましたが、大井競馬や京王閣競輪、多摩川競艇などは、特別区や多摩地域の各市が肩代わり開催を求め、形を変えて継続されることとなり、今日に至っています。肩代わり開催の背景には、本来、交付税などで保証すべき自治体の財源をギャンブルに肩代わりさせて済ませようとする国の後押しがありました。
 革新都政は、「都営競争事業は、45年度(1970年度・筆者中)から三年以内に廃止する」とした審議会の答申をふまえ、1970年の京王競輪閣を皮切りに1972年度中に全事業を廃止したのです。

 自治体財政の健全化

 都がギャンブルを廃止することの意義は、国と他の地方自治体に対し、地方自治を守るための警鐘を鳴らすことである。
 都政1971~4

 革新都政が、公営ギャンブルの廃止を打ちだした理由には、社会的弊害のおおい「賭け事」を地方自治体が経営することの問題とともに、都財政を健全化し、政府に対して地方財政政策の変更を迫ることにおおきな意味がありました。
 競輪が廃止された後楽園は、その後、若者にも人気の後楽園遊園地や東京ドームとして都民に親しまれています。

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