~連載(29)~革新都政12年 革新都政が挑んだもの ―生活機能優先(1)―
2017年4月15日
都市問題は深刻であるとか、よい都市づくりをせねばならないというが、それは「誰に」とって問題なのであり、「誰からみて」よい都市なのか明らかにしなければならない。
東京問題調査会・助言よい都市づくりとは、都民にとって、安全・健康・快適な生活を保障する東京の改造をめざすことに他ならない。
美濃部知事の都市づくりに対する基本的な方針は、「生活機能の優先」と「都民参加による都市づくり」の二点に集約されよう。都政1971~4
戦後の高度成長政策と東京オリンピックのもとで膨張をつづけた大都市東京。
終戦からわずか20年のあいだに、人口は終戦時の3倍の1000万余に増え、住宅不足、劣悪な住環境、公害、痛勤地獄など深刻な都市問題に直面させられていました。
こうしたもとで都政を担うこととなった革新都政は、福祉や教育などの拡充とともに、安全で快適な都市生活の実現にとりくむことになりました。
東京都はこうした課題にとりくむにあたって、シビルミニマムを設定するとともに、「東京都中期計画70」を策定。中期計画では都市の基幹的施設の整備や都市基盤の改造に関する施策として、公害、災害、住宅、生活環境施設、交通、流通、市街地整備、地域振興開発の8項目で構成される「都市改造計画」をかかげました。
うち、「生活環境施設」では、上水道、下水道、生活道路、公園緑地、清掃、地域福祉文化施設の6つが対象施策とされました。これこそは、都民の切実な要望でありながら、保守都政のもとでながく放置されてきたものにほかなりません。
100%普及めざして
近代都市の基盤施設であり、都民が快適で衛生的な生活をおくるうえで不可欠な上下水道。革新都政のもとで目覚ましい改善がはかられました。
◇上水道
当時、東京では慢性的な水不足と水道未普及地域の改善が課題となっていました。このため、革新都政は、水源対策をすすめるとともに、三園・小作などの浄水場の新設と既存施設の拡充にとりくみ、給水施設についても区部については1975年度までに、三多摩地域については1980年度までに100%普及することを目標として定め、給水能力を倍化させました。
◇下水道
ヨーロッパではおおくの都市で100%普及し、あたりまえの都市施設となっていた下水道。その普及率は、東京では区部で36%、三多摩地域では市街地面積の5・6%(1968年度末)に過ぎず、大阪や名古屋(6割普及)と比べてもおおきく立ちおくれていました。
このため革新都政は早急に100%普及させるための計画(区部1978年度まで、多摩地域1985年度まで)を立て、区部の普及率を65%にひきあげ、三多摩地域についても「三多摩地域総合排水計画」を策定、流域下水道の整備にとりくむなど市部の普及率も36%までに引きあげました。
◇“ゴミ戦争宣言”
急速な都市化のもとで激増する廃棄物。最終(埋立)処分場をかかえる自治体とゴミを持ちこむ自治体間の深刻な対立を生みだしていました。こうしたもとで美濃部知事は“ゴミ戦争”を宣言し、その解決に全力をあげることとなりました。
区部において未処理で埋め立てていたゴミを全量焼却できるよう北・石神井・世田谷・千歳清掃工場などの建設をすすめ、清掃工場の処理能力を7倍化させ、1977年には全量焼却を実現しました。
また、繁華街での毎日収集や粗大ゴミや不燃物・不適物の分別収集など資源回収・リサイクルのとりくみを推進しました。