~連載(26)~ 考証 革新都政12年 革新都政が挑んだもの 住まいの確保
2016年12月15日
タヌキやムジナでさえ自分が住む穴ぐらいはほっている。都民が自分の家をたてられないわけがない(1974年都議会定例会での自民党議員の発言)

 革新都政が成立した1960年代の東京の住宅事情は、数のうえでは住宅の不足(住宅数-世帯数)は解消されたものの、戦後の復興期に応急的に建てられた住宅や狭くて古いなどの劣悪な住宅が数おおく残されるとともに、東京集中のもとで急増する都市勤労者のための住宅が決定的に不足していました。
 このため、国は戦後直後に制定された公営住宅制度にくわえて、都市勤労者を対象とした住宅公団や地方自治体が経営する住宅供給公社などを制度化。革新都政誕生の前年1966年には住宅建設計画法を制定、住宅建設五か年計画を策定するなどの対応に迫られていました。
 東京においては用地不足、地価や建設費の高騰などで住宅の供給がすすまず、住宅問題が都民要望の第一位(1968年世論調査)となり、東京都の都民相談室に寄せられる相談のうち35%が住宅相談で占められるなど、深刻の度を増していました。
 1968年に実施された東京都住宅需要実態調査によれば、住宅不足(注)は46万8千世帯(推定)にも及び、住宅困窮世帯は101万7千世帯にも達していました。困窮の理由は、「住宅が狭い」が48・8%。ついで「家賃が高い」が14・6%、「建物が傷んでいる」が11・1%で、「通勤不便」も少なくありませんでした。
 こうした状況の背景には、「明治維新以来生産ないし産業が優先され、国民生活はつねに従たる地位に置かれてきた」(篠原一「世界」1974年)こと、「道路、橋梁、河川は本なり、水道、家屋、下水は末なり」(芳川顕生・明治政府の官僚)という頑迷な考え方が支配していたことを指摘しなければなりません。
 これに対して世界の流れは、住まいを人間的な生活の基礎として位置づける「人間居住宣言」(国連人間回復会議)、「労働者住宅に関する勧告」(ILO)などがあいついで採択されるなど、「居住権」の考え方が主流になっていたのです。

シビルミニマムに位置づけ

 こうしたもとで東京都では、東京問題調査会での第一次助言「住宅対策について」、住宅シビルミニマム研究会が作成した「東京の住宅問題」など第三者機関による方向づけ、政策提案をはじめ、
東京都中期計画
・住宅難の解決は、都民生活のうえにおける最大の課題である。都としては当面、緊急な対策として、(1)計画化された公的住宅政策にもとづく住宅の大量供給、(2)住宅用地等の確保について一層の推進を図る必要がある
東京の住宅問題
・公営賃貸住宅を中心とした自治体住宅政策の確立
・住宅のシビルミニマム、つまり広さ、職住接近・家賃に配慮した最低居住水準と住環境水準の設定住宅対策審議会答申
・住宅は持つものというより利用すべきものと認識し、量的に賃貸住宅に比重を置いていく必要
・30%を目標とする公的シェアの拡大
など行政計画・方針に位置づけられていったのです。
 さらに、予算も大幅に増額され、結果、都の施策で建設された住宅(都営住宅、公社住宅、勤労者のマイホーム融資など)は自民党都政時代(24万戸)のほぼ倍の46万戸に達し、都営住宅についても国の超過負担のおしつけにひるむことなく建設をすすめ、12年間で8万3千戸(供給戸数)もの都営住宅を増やしたのです。これは次の鈴木都政の4・3倍にあたるものです。
 ちなみに石原都政は新規新築の建設をうち切り、供給戸数がマイナスに逆転させられました。
 また、村山団地(武蔵村山市)などの大団地の建設にあたっては、関連公共施設整備要綱をつくって、施設整備や地元自治体への財政援助などの基準を定め、学校、道路、公園、上下水道、集会所、保育施設、店舗などを計画的に整備しました。
 ソフト面でも都営住宅管理事務所(5カ所)に住宅相談コーナーを設置することや、募集方法についても、高齢者や障害者、低所得者のための優先入居や何回申し込んでも抽選にもれる都民に住宅を保障するためのポイント制度(抽選によらない優先入居)などを導入しました。今日、実施されている施策のおおくが革新都政のもとで具体化されたのです。

注=狭小過密・老朽など住宅難世帯の要件に該当し、かつ住宅困窮を訴えている世帯

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