~連載(25)~ 考証 革新都政12年 革新都政が挑んだもの 都民のための東京改革(2)
2016年11月15日
東京にシビルミニマムを実現し、公害を克服して、東京を真に住みよい都市にするためには、東京の根本的な都市改造が必要である。「広場と青空に東京構想」は、このための、市民生活に視点をおいた総合的・体系的な都市改造の構想である。
(試案発表後のあゆみ)
革新都政二期目となる都知事選挙が1971年に実施されました。東京都はその年の3月に「広場と青空の東京構想(試案)」(以下「東京構想」)を発表。
一方、自民党の単独推薦で立候補した警察官僚の秦野章候補は、環状8号線の立体道路化、国鉄跡地の活用、新東京開発公団の設立などを柱とした、財界・大企業奉仕、鉄とコンクリートの開発構想=いわゆる「4兆円ビジョン」をかかげました。
結果、革新統一候補の美濃部亮吉氏が圧勝。都民は市民生活と環境優先、都民参加をかかげた「東京構想」に軍配をあげたのです。
都民のための都市改造
その「東京構想」は、「新しい東京計画」として、都心への一点集中を改革するための“都心と多摩連関都市とその中間に位置する新都心(新宿)の形成”を図る「2極構造への転換」、「都民による都市改造運動」「シビル・ミニマムのシステム化」など、それまでの都市づくりを大転換する方向を提起するとともに、その具体的方策として、多摩連関都市計画・東部地域整備計画・生活都心帯計画・臨海地帯計画の「四つの戦略計画」を提起。さらに「多様な先駆事業の実施」として、多摩ニュータウン建設・江東地区再開発・柳町再開発・海上公園建設・グランドハイツ跡地整備を提起。交通と緑のシステム計画として基幹交通のシステム計画、緑のシステム計画を打ちだしました。
そして美濃部知事は、知事就任にあたって、前期4年間での福祉・くらしの施策の前進をふまえて、2期目のおおきな仕事として、「都民の誰もが安心して住める東京にするための都市改造、シビルミニマムの実現のために、地域の特性に応じた都市構造の改革、東京の住宅不足の解消、公害の撲滅、通勤難の解消、震災対策などの解決に強力な施策を進める」ことを力づよく表明したのです。
都市づくりの7つの柱
美濃部都知事は、また、都市づくりをすすめるうえでの指針を7つの柱としてまとめ、都民に示しました。
- シビルミニマムの実現とその底上げが、東京における都市づくりの根本
- 都民による下からの都市づくりでなければならない
- 実現性と妥当性を持たなければならない
- 都市づくりは鉄とコンクリートだけではない
- 生活機能優先の原理を確立すること
- 都市づくりには自治体の責任とリーダーシップが確立されなければならない
- 平和と民主主義をわすれてはならない
今日に残る先駆的事業
「東京構想」が提起した都市改造は、先駆的事業をはじめ、都民との共同をちからに次々と実現されていきました。
たとえば、国主導で革新都政以前からすすめられていた多摩ニュータウン建設では、①単なるベッドタウンとするのではなく、職住近接型の新都市として建設する、②地元関係市町の事業参画をすすめるなど改革をすすめ、国の産業政策の一環としてのニュータウンづくりから、住民、地域主体のまちづくりへと転換を図りました。
江東地区再開発は、災害危険度の高い江東デルタ地帯での災害対応、生活環境改善、経済基盤強化を図ることを目的に、白鬚、四つ木、大島・小松川、木場、両国、中央、(錦糸町)の6地区で都市整備をおこなうもので、その第一号として白鬚東地区が防災拠点として整備され、その後もこの構想をベースに都市整備がすすめられることになりました。
柳町再開発(新宿区)では、自動車排気ガス公害の解消を実現。海上公園建設ではなぎさ公園としての葛西臨海公園を建設、夢の島公園なども都民の憩いの場として利用されています。
練馬のグランドハイツ跡地は、戦後、米軍家族宿舎として使われていた土地でしたが、革新都政はその返還をかちとるとともに、「従来の住宅用地に見られるような孤立的、閉鎖的な開発ではなく、周辺地域とも調和のとれた好ましい環境の緑豊かな市街地として整備する」ことを提案。現在、光が丘パークタウンとして親しまれています。