~連載(24)~ 考証 革新都政12年 革新都政が守ったもの 都民のための東京改革(1)
2016年10月15日
 「これからの東京をどうするか」という課題は、私が知事に就任以来、片時も念頭を離れなかった問題であります。

 美濃部亮吉・青空と広場の東京構想

 第2次世界大戦で灰燼に帰した東京は、その後の十数年の短期間に復活を遂げ、人口、経済力ともに世界一という巨大都市として成長しました。
 しかし、その実態は、・戦前は富国強兵、戦後はGNP第一主義によって社会資本投資はきわめて低水準に抑えられ、国民の富はもっぱら生産の拡大に投入されてきた。・わが国の都市は、権力のための都市、企業のため都市であった。(青空と広場の東京構想)・昭和30年代からの経済の高度成長は、(略)資本と産業の無秩序な集中、集積をもたらし、そこから生ずるいろいろなひずみは、今日みるようなアンバランスな東京を形成したのである。都心における超高層ビルや高速道路の出現は、大きく東京の姿を変えたが、同じ、その東京の空の下で、大気汚染や交通災害は日々都民の生命や健康を脅かし、住宅難、通勤難や物価高は幸福を願う都民の生活を脅かしている。(都政白書69 ')のであり、東京・都心一極集中、大企業優先の政策が大手をふってすすめられる一方で、都民の生活は二の次とされ、公害、住宅難・遠距離通勤、低水準の福祉、物価高騰などに都民は苦しめられることとなりました。

青空と広場の東京構想

 こうしたもとで誕生した革新都政は、福祉や教育、中小企業などの都民施策の拡充とあわせて、「東京における市民生活の防衛を実現し、安定した豊かな生活、活気にあふれた都市への発展をめざそうとするとき、東京の都市構造の改革が日程にのぼる」(青空と広場の東京構想)として都民のための東京改造に立ちむかうことになりました。
 革新都政はそのためにシビルミニマム(連載9参照)を設定し、その具体化の方策として「都民サービスを中心とする施策」と「都市改造のための施策」の二つの柱で構成された「東京都中期計画」を策定。また、「東京を真に住みよい都市にするためには、東京の都市構造についての根本的改革が必要」「(毎年の予算を土台にくみたてる:筆者注)現行制度のワクをかなり超えた」改革をすすめることが必要だとして、「青空と広場の東京構想(試案)」(1971年・以下東京構想)を策定しました。

都民参加の都市づくり

 都市計画とは、単純にいえば(略)、市民共同の意志を固めるための作業手続き(計画策定手続き)と、これを実現するためのルール(事業手続きと土地利用・建築規制)の体系である。
 残念ながら日本の都市計画制度は、この市民の意思の反映という点でも、計画と事業・規制の結びつきという点でも、他の先進諸国と比べるときわめて弱体である。
 大方潤一郎・東大教授

 東京構想では、第一に「都民参加による都市づくり」が提唱され、「都民よる都市改造運動」「計画への市民参加」「新しい参加方式の提起」など、それまでの都政では考えられなかった都民の参加の道が示されたのです。
 たとえば、都市計画決定過程への都民参加については、都市計画法の改正による公聴会の開催や都民の意見聴取などの制度化(1968年)以前の段階から、おおくの局面での住民参加を実現していましたし、改正後も、用途地域指定などにあたって区市町村に試案を作成してもらい、それにもとづく住民説明会を設定し、都の職員がその住民説明会にでかけていっていろいろな意見をきかせてもらうなど、法律以上の住民参加をすすめたのです。
 こうしたもとで、住民の陳情をふまえて国立駅南口の高層ビル建設計画に対してきびしい容積率を指定したり、業界の高層ビル建設要求に対しては、容積率を1200%から800~1000%に抑える指定をおこない業務床の増加を抑制するなどを実施しました。
 また、放射36号線道路問題では、対話集会を重ね、「放射36号道路の住民投票に関する調査会」を設置するなど住民参加を徹底しました。
 平尾英子道路対策連盟事務局長(当時)は、「美濃部さんは(略)、あのユニークな発想で対話集会だ、住民参加だ、民主主義だ、住民投票だとワーとやってくれたから道路行政の殻も破れたし、都も変われたんです」と述べています。(証言みのべ都政)
 このほかにも、ゴミ戦争での杉並清掃工場建設、排気ガス公害での新宿区牛込柳町再開発、基地跡地利用での武蔵野市のグランドハイツ跡地利用などでも都民参加での計画づくりがすすめられました。

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「'74都政のあらまし」より



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