次代をになう児童・青年が、心身ともにすこやかに育つことはすべての人の願い スポーツ・レクリェーションは、本来、都民ひとりひとりがその余暇を利用して自発的に楽しみながら行うところにその真の意義がある もともと芸術・文化についての都民の要望は、単に多数の人口をかかえる大都市の特性からだけではなく、社会、経済の急速な変化の中で、人間回復のための基本的要求として位置づけられるもの 東京都中期計画―1969―
この分野は、福祉の措置制度のように自治体が施策を実施することが義務付けられているものと違い、おおくは、自治体の裁量、判断に委ねられているものです。それだけに自治体の姿勢・意欲によって、施策が左右されることになります。
住民が主体の社会教育
社会教育は、都民が生活のさまざまな分野で人間的成長と豊かでみのりのある生活を営むことを支援する仕組みです。革新都政のもとでは、東京都社会教育委員会議が積極的に答申や助言をおこない、民主的な社会教育活動・文化活動の方向を指ししめすとともに、各地の社会教育会館や公民館の充実にとりくみました。また、都立の施設として立川社会教育会館を建設、市民の自主的な集会や学習活動を積極的に支援するためのサービスコーナーも設置するなど中心的役割を果たしました。
社会教育団体への補助についても、従来、「官製団体」に限られていたものを、自主的民主的な団体にも拡充し、「東京都のお知らせ」で、ひろく公募、補助額も大幅に増額するなど、住民の学習権を保障するとりくみをすすめました。
図書館についても、中学校区毎に一館を建設することを目標に、1975年までに114館を建設、住民の20%を貸し出し登録者とする「図書館政策」(70年)を策定。また、「開かれた図書館づくり」のビジョンをかかげ、区市町村に対する2分の1建設費補助や資料費補助を実施、68年度からの10年間に131館を建設し2・8倍にまで拡充。全国の図書館政策におおきな影響を与えました。
また、青少年が団体で交流したり、スポーツやレクリェーションを楽しむ場として「青年の家」を7カ所も開設。食事代が1日3食で450円であることなどから、年間9万人もの青少年に活用されました。
うけつぐ伝統と文化
革新都政は、急速な都市化のもとで失われていく江戸文化や地域での伝統芸能なども大切にしました。 下町にのこる江戸切り子や風鈴などの伝統工芸の支援・育成や、よみがえった隅田川での両国花火、八王子の「車人形」や板橋の「田遊び祭り」などの文化遺産、史跡の保護にも力をつくしました。
芸術を都民のものに
文化・芸術面におけるヒットは、芸術文化団体の公演に対する助成事業です
明るい革新都政1973/5/20
革新都政は68年に芸術文化団体の公演に対する助成事業をスタートさせ、都民が演劇やオペラ、コンサート、人形劇、日本舞踊、都民寄席など、さまざまな文化や芸術を低負担で楽しむことができるようになりました。また、「子どもによい文化」の理念にもとづいて親子劇場への助成も実施され、お母さんたちにとても喜ばれました。76年には都民の芸術鑑賞の場として芸術文化会館(池袋)も建設しました。
スポーツ要求に応える
スポーツといえば、東京オリンピック一本槍だった都政を変え、都民のためのスポーツ振興を柱に、夢の島体育館・多摩体育館を建設。野球場も1966年度には70カ所だったものが5年後の71年には126カ所(勤労青年のための夜間照明も18カ所設置)に増やすなど都民のスポーツ要求に積極的に応えました。