~連載(19)~ 考証 革新都政12年 革新都政が実現したもの(6)―― どの子にもゆきとどいた教育を
2016年4月15日


 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する
(憲法第26条)

 革新都政が誕生した当時の教育は、戦後の学制変更(複線から6・3・3制の単線へ)、教室不足・二部教室などの混乱期を脱したものの、高度成長政策のもとでの第一次産業から第二次産業への就労・社会構造の転換を背景とした高等教育への指向など、おおきな変革期を迎えていました。

 とりわけ東京においては、高校進学、障害児教育、父母負担などあらたな課題に直面していました。
 こうしたもとで革新都政は憲法を実現する立場から、父母や教職員組合などと連携して、「どの子にもゆきとどいた教育」保障するために全力をつくしました。

 15の春を泣かせない
 その一つが都立高校の増設です。当時、東京では中学卒業生の9割以上が高校進学を希望。「高校教育の準義務教育的性格」が社会的に認識されるに至っているにもかかわらず長く都立高校建設を先送り。このため、おおくの中学卒業生が公立高校進学を希望しながら、泣く泣く断念せざるを得ない状況におかれていました。これに対して都民は、「東京都高校問題連絡協議会」を結成するなど運動をくりひろげ、革新都政は「都立学校整備委員会」を設置するなどして都立高校の増設に努め、47校(保守都政時代の1・7倍)も建設。中学浪人の解消に努めました。

 また、働きながら学ぶことを保障するため、定時制高校の拡充に努めました。定時制高校については、いったんは統廃合が計画されましたが、美濃部知事が都民の声をふまえて「統廃合しないで予算拡大」と決断。小規模定時制の存置、30人学級、給食用食堂の設置、体育施設の夜間照明設置などの拡充を実現しました。
 区市町村が設置者である小中学校についても財政支援をおこない教室不足、体育館未設置を解消しました。

 私学助成の実現
 教育費の父母負担の解消もつよい都民要望でした。 都立高校が不足するもとで、都立高校を希望しながら私立にすすまざるを得なかった生徒は多数(77年度・2万9000人)にのぼり、その生徒1人あたりの負担(授業料)は公立の5倍(68年度)にも達していました。革新都政は、「教育の機会均等」を保障する立場から、所得制限なしの直接助成(2ヶ月分の授業料)や学校運営費補助を実施。私立幼稚園父母負担軽減も実現しました。
 公教育でも、都立高校授業料の据え置きや定時制高校生の教科書の無償貸与、給食費補助などの就学補助を都単独で実施。義務教育についても「義務教育の無償の原則」に立脚して、都として備品や教材費などの公費負担を大幅に拡充。父母負担を小学生1人当たり39円(71年度)、中学生174円(同)と全国一の低い水準(学校教育費の0・2%)に引き下げました。さらに生活困難な家庭に対する就学援助についても、林間学校や卒業記念アルバムなど国補助への都独自の上乗せを実施しました。

 希望者の全員入学
 障害者教育も革新都政のもとで飛躍的に前進しました。それまでの保守都政のもとでは、国の方針にしたがって、「就学猶予・免除」制度が押しつけられ、おおくの障害児が就学の機会を奪われていました。これに対して父母や都民、教職員組合などが「すべての障害児に、命とひとみ輝く教育を」の願いを結集して「障害者と家族の生活と権利を守る都民連絡会」を結成し、都民的運動をくりひろげました。
 革新都政もこれに応えて、「盲・ろう・養護学校」を25校も建設。1974年度には障害者の希望者全員入学を実現しました。また通学を保障するためのスクールバスの計画的配車。国基準を上まわる一クラス2名の都独自の教職員の配置、在宅児のための訪問教育や病院内学級の開設、機能訓練制度の確立、さらには、重い父母負担の軽減のための学校運営費補助をはじめて制度化したり、都独自の就学援助を実施するなど、全国一の教育水準を実現したのです。


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