取り戻そう!暮らし・いのち・平和を守る都民が主人公の都政を
2016年1月15日
あの日あの時の感動
早乙女 勝元

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 わが家は都内の足立区にあるが、最寄りの私鉄駅の次は埼玉県である。つまり、東京都の末端にしがみついているわけだが、都民でよかったと涙を流したことがある。
 1970年8月5日、私どもは丸の内の都庁舎ロビィに集まって、その場で「東京大空襲を記録する会」を結成した。10年を一昔というなら四昔余も前のことで、会の発案者の私は30代だった。
 私どもの会長は作家の有馬頼義氏で、事務局長は評論家の松浦総三氏、そして会の目的、「東京大空襲・戦災資料全五巻の編集刊行」に賛同したメンバーである。
 「では、参りましょうか」
 松浦氏の声で、2階の都知事応接室へ。室内には大勢のマスコミ取材班が待機していた。やがて都知事の美濃部亮吉氏が、足どりも軽く現れた。有馬代表が要望書を手渡すと、都知事は一通り目を通したあとでいった。
 「東京大空襲の惨状は、よく知っていますよ。一夜に10万人もが死んだなんて、信じがたいことでして、これを正資料として残すのは意義ある事業です。一体いくらくらいかかりますかね?」
 予想外の質問に一同は詰まり、私は大いにあわてた。そこまではまったく考えてなかったのだ。すると、隣席から歯切れのよい声が出た。
 「まあ、1億円がとこでしょうなあ」
 発起人の一人である評論家の加太こうじ氏だった。紙芝居「黄金バット」で知られる庶民文化のプロである。岩波新書が130円の時代の1億円は巨額で、私は息を飲み、顔がほてる思いだったが、都知事はそう驚いた様子でもなくうなずいた。
 これで、すべてが決まった。都の助成は1億円まではいかなかったが、都知事の一声で都の協力がOKになったのだった。ああ、都民でよかったと、私は感動した。今振り返れば、都知事が民主的な学者であり、社共両党の支持で誕生した革新都政だったからこその快挙だったといえよう。
 それから3年後、東京大空襲惨禍を継承する都民参加の大資料集が完成、菊池寛賞ほかを受賞した。あの日あの時を思いだすたびに胸が熱くなる。次期都知事選挙まであと2年、憲法とくらしを守る革新都政をぜひと、声を大にして訴えたい。


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