~連載(14)~ 考証 革新都政12年 革新都政が実現したもの(1)―― ポストの数ほど保育所を(1)
2015年11月15日

母親は家庭に帰れ
 さまざまな都民要求を背景に誕生した革新都政が、まずはじめにとりくんだのが待機児解消や保育者の雇用環境改善、保育の質の向上など、保育の問題でした。
 当時、日本は戦後の混乱期をのりこえ、高度成長期に入り、とりわけ、東京はおおくの産業が集積、人口も急増、学校、保育所、公共施設などの社会的インフラの不足と劣悪な雇用環境に置かれていました。
 革新都政発足当時(1968年)の東京の雇用者は420万人に達し、そのうち女性労働者は約3割、118万人を占めるにいたっていました。しかも、この女性労働者の半分が既婚者で、さらにその半分が中学生以下の子どもを養育している状態でした。
 めざましい女性の社会進出の一方で、女性が働きながら子育てをする条件は、まったくといってよいほど未成熟なものでした。
 にもかかわらず、政府は、財界の意向にそって、女性の雇用市場への参入を促進する一方で、子育てについては、「元来子供は家庭で両親によって保育されることが最も自然な姿」「母親は家庭に帰れ」などと矛盾した政策をとり、働く女性にそのツケをおしつけていました。
 また、東京都は、こうした国の政策に追随し、保育行政を事実上、なげだしていました。このため、保育の環境は劣悪をきわめ、都内に保育を必要とする乳幼児が11万8千人(推定・東京都調査・1968年)もいるのに、保育の収容能力は6万7千人で、57%を占めるに過ぎなかったのです。
 とりわけ、ゼロ歳児の場合、認可保育園の受入数はわずか1%にとどまり、おおくは行政の支援のない無認可保育所に頼るしかなく、しかも、絶対量が決定的に不足していたのです。
 こうしたもとで、無認可保育所では、「年長120人、3クラスを2人で保育しなければならない」「労働時間は平均で9時間、長いところでは11時間にもなる。昼食などの休憩も取れない」「病気しても休めない」など、子どもも保育者も父母も過酷な状況に置かれていました。公立でも3歳未満児10人を1人で、3歳以上児60人を2人で保育するところや幼時24人を1人、乳児16人を2人で保育する例も報告され、健康を害して退職する職員も少なくありませんでした。
 保育料も、人件費や物価などがあがると、保育料の引き上げに連動する「保育単価制」が導入された結果、毎年のように引き上げられ、無認可保育所の調査では、「保育料が高い」が78%、「負担が大」が59%を占めるというような深刻な事態が生まれていたのです。
 これに対して、父母、保育者、園長、女性団体、労働組合などが連帯したたたかいを展開。東京無認可保育所連絡協議会や東京保育問題連絡会などの運動団体が結成され、改善要求を掲げて立ち上がることになりました。
 こうしたもとで、革新都政は共社の政策協定と知事の公約にもとづき、保育関係者と手を結んで、つぎつぎと施策を実現していきました。(次号紹介)
 こうして、「これまでの要求が殆ど実現し、東京では全国的にも上位の保育条件がつくられる」(保育所づくり運動史・橋本宏子)ことになったのです。


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