~連載(8)~ 考証 革新都政12年 革新都政がきり拓いたもの(5)―― シビル・ミニマム
2015年6月15日

 シビル・ミニマムを中心に住民の生活を考える思想は、日本の政治に、更に住民自身の判断にも決定的な価値転換をもたらしました。いまでは、全国の自治体に波及し、政府の産業優先政策に変更をせまる巨大なうねりとなって高まっています。
 〈スマイルと決断 明るい革新都政をつくる会〉


 シビル・ミニマムは、革新都政によって、はじめて地方自治体の政策指針としてうちだされたもので、その理念は、「全ての国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障している日本国憲法の約束を実現すること」(東京都中期計画1968年)とされ、その内容は、ひとりの都民が人間らしい生活をするにはこれだけの制度や施策、都市施設が必要だ、という水準をシビル・ミニマムとして定めたものです。
 この当時、おおくの先進国では労働運動のたかまりと、社会主義を目指した国々で先進的にとりくまれた医療無料化や8時間労働制、教育の無償制などの施策に対抗するかたちで、“福祉国家”がかかげられ、その具体化としてのナショナルミニマムの考え方が導入されていました。
 日本においても、戦後の新憲法のもとで、生活保護制度や国民皆年金制度の導入をはじめ、地方自治体を通じてのナショナルミニマム実現の方途として、地方交付税制度や国庫支出金などの財政システムがつくられました。
 しかし、自民党政権下のナショナルミニマムの水準は、現実の国民生活の水準に比べて極端に低く、とりわけ、高度成長の中で急激に肥大化した東京などの大都市においては、国民生活一般には解消できない課題や、公害、都市におけるあらたな貧困と格差の増大などが顕在化し、都民は困窮を強いられることとなっていたのです。

都民生活のあらゆる部門に
 そこで、革新都政は、「現実の都民生活の実態から出発」して、「都市のひずみによって生活が破壊され、物価の上昇にあえぎ、人間としての悲痛な叫びをあげる都民ひとりひとりの身になって行政を計画」し、「近代都市が当然備えていなければならない条件の最低限、すなわち、住民が安全、健康、快適、能率的な生活を営むうえに必要な最低条件」(中期計画)としてシビル・ミニマムを定め、そのシビル・ミニマムを「都民生活のあらゆる部門に設定」(スマイルと決断)することとしたのです。
 そしてシビル・ミニマムの設定にあたっては「たとえば、遊び場は子ども250mぐらい歩けば行ける距離に最低一カ所必要であるとか。下水道は都民が生活するあらゆる地域に普及している必要があるとか」(同)、という、都民目線が基準とされたのです。
 シビル・ミニマムは、毎年度の予算で具体化されるとともに、「いかにしてシビル・ミニマムに到達するか」の副題が冠せられた「東京都中期計画」(1968年~、毎年ローリング・のち東京都行財政三か年計画)や「都民を公害から防衛する計画」、「広場と青空の東京構想」(1971年)を通じて具体化されていきました。
 そこに示されたものは、都民の要求に積極的に応えるという姿勢にとどまらず、シビル・ミニマムの実現を、自治体自らの責務としてとらえ、自律的に都民生活の改善・向上につとめるというもので、「自治の本旨」にたった姿勢に外なりません。
 こうした革新都政のもとで、保育所の増設や無認可保育所への助成、老人・障害者・公害患者の医療費無料化、老人病院の建設、障害児の希望者全員入学、心身障害者総合研究所や補装具研究所の設置、勤労福祉会館の建設、消費者行政、排気ガス規制、私学助成、上下水道など、都民生活全般にわたる施策が計画的に実現されることとなったのです。

政権交代なき政策転換

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 シビル・ミニマムは、このように生活に困窮する都民の応援の仕組みであるとともに、その一方で、資本主義のもとで一部の資本家階級に収奪された労働者が生みだした富をとりもどし、再配分する役割を果たすことでもありました。
 革新都政でスタートしたシビル・ミニマムは、全国の自治体に波及し実践に移されることで、老人医療費無料化、公害対策などのように、国にも大きな影響を与えることとなりました。
 富の再配分の再編という点で、このシビル・ミニマム論は経済企画庁や自治省で当時も熱心にも読まれ、やがて、「政権交代なき政策転換」をひきおこしていきます。
 〈松下圭一 21世紀の都市自治への教訓〉


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