・二期目以降は、具体的な問題を都民とともに考え、解決の手がかりを探る、という一歩進んだ内容が多くなった
・とかく一方通行になりがちの対話から、さらに一歩進め、都民とともに考える都政を実現させるため、私は「都民参加」呼びかけた
(都知事12年・朝日新聞1979.07.01)
革新都政が誕生する以前の都政は、「国の政策を遂行する下部機関であって、本来の責務である住民の生活を守るということを背後に押しやって」(都政1971・坂井丈夫)きました。
その流れを180度転換し、都政が「住民の福祉の増進」を責務とする自治体に成長するためには、革新の知事とそれを支える議会とともに、住民が主体となって都政を動かしていくことが不可欠の課題でした。
同時に、それはながく天皇制支配と中央集権の官治制度のもとに置かれてきた国民・都民にとって、未体験の課題でもありました。
「明るい革新都政とつくる会」に結集した市民団体、要求団体、労働組合、学者・研究者・文化人などは、この呼びかけに応えて、都政に積極的に参加することで、都政を改革、住民が主人公の都政を一歩も二歩も前進させることになったのです。
それは12年にわたる革新都政のさまざまな成果とともに、住民参加でつくられた自然保護条例や消費者保護条例などをはじめ、公害監視活動、杉並ゴミ問題、放射36号道路建設、江東区の防災拠点づくりなど、都政史に歴史を刻むことになったのです。
なかでも革新都政が誕生とともに解決に迫られていた公害対策では、公害防止条例の制定とあわせて、地域代表、労働組合、女性団体、被害者団体など100名で構成される公害監視委員会が設置され、4つの地域別部会で、各地域の公害、環境問題を議論し、知事に提言をおこなう仕組みがつくられました。現在も継続してとりくまれている大気汚染の住民測定運動の立ちあげにあたっては公害監視委員会の責任者が運動団体の実行委員長に就任。行政と都民が一体となったとりくみがすすめられました。
また、廃棄物問題では、有名な「ゴミ戦争宣言」を提起し、「ゴミをださない生産や生活」など川下対策から川上対策への転換にとりくむことで、のちの過剰包装追放運動など消費者運動の発展をうながすことになりました。
環境アセス条例制定でも、革新都政は都民参加の「東京における環境アセスメントを考える委員会」を設置。鈴木都政のもとで骨抜き条例として制定されることになりましたが、第3者委員会によるアセスの実施や住民意見の反映などを柱とした実効性のある条例案を策定、都議会に提案したのです。
激しい反対運動が展開された都道放射36号線(豊島区要町一丁目~練馬区早宮一丁目)では、道路は建設されたものの、東京都が住民の参加と合意を重視し、住民投票を提案。住民参加の「調査会」を設置するなど、住民参加がつらぬかれました。
たとえ橋一つつくられるにしても、その橋の建設が、そこに住む多くの人との合意が得られないならば、橋は建設されない方がよい。人々は今まで通り、泳ぐか渡し船で渡ればよい。(フランツ・ファノン)
美濃部知事によるこの言葉の引用は、「ひとりでも反対がいたら道路をつくらない」などとねじ曲げられ意図的な革新都政攻撃に使われましたが、その本意は、「住民自治の理念と住民参加の姿勢のあり方」を都民に示すことであったのです。