〈連載2〉考証・革新都政12年/革新都政を生みだした力(1)
2014年10月15日
 佐藤内閣と対決する人に当選後、援助の必要なし
(佐藤栄作首相)
 アカの手から都政を守る
(自民党スローガン)
 美濃部さんもお気を付けになった方がいい、浅沼君の二の舞にならないとはかぎらないよ
(赤尾敏大日本愛国党党首)

 1967年の第6回全国統一地方選挙は、自民党の退潮と革新勢力の前進、蜷川虎三京都府知事をはじめとする全国の自治体での革新首長の前進という政治的潮流のなかで実施されました。
 直前におこなわれた総選挙(1月実施)でみると、東京における政党間の力関係は、超国家主義者・松下正寿氏を擁立した自民党・民主党の207万票に対して、美濃部亮吉氏を擁立した共産党・社会党は174万票で、30万票以上の票差がありました。これに対して、共産党・社会党を軸に労働組合・市民団体、学者・文化人などの幅広い都民を結集した統一戦線組織「明るい革新都政をつくる会」が、冒頭のような卑劣な反共反動攻撃をうち破り、革新知事を実現させたのです。
 では、自民党擁立候補有利の力関係をくつがえして革新都政を実現させたものは何だったのでしょうか。

政治を動かした都民の怒り
 第1に、自民党政治に対する都民の怒りと行動があげられます。
 当時、日本は、戦後の混乱から脱し、重厚長大産業を柱とする高度成長路線をつきすすんでいました。東京においては首都圏整備計画にもとづく集中政策や東京オリンピックを好機到来とした都市開発の一方、集団就職や出稼ぎ労働など安上がりな労働力確保がすすめられていました。
 こうしたもとで、大企業の繁栄の足下でのあらたな貧困の増大、工場煤煙と自動車排気ガスによる“緩慢な殺人”=公害の深刻化、人口急増に追いつかない水道や保育園、学校施設などの社会的インフラ。上下水道料金、都電・都バス、都営住宅使用料、保育料、高校授業料、動物園入場料などの公共料金の連続値上げ(1965年には17種の値上げ)が都民に押しつけられ、まさに、憲法が保障する「生存権」と「健康で文化的な生活を営む権利」が脅かされる事態に追い込まれていたのです。

住民自治への道
 こうしたもとで自覚的労働組合、民主団体、共産党など39団体によって「都民の要求実現と民主都政をすすめる全都連絡会議(全都連)」が1965年に結成され、「私の要求運動」が全都でとりくまれることになました。この「私の要求運動」にもとづく、対東京都交渉(翌年3月・第1次対都交渉)には257団体、代表870名が参加。都民が直接、東京都に怒りと要求を突きつける場となりました。このことは、都政史上はじめて、都民が「都政の主人公」として登場したことを意味し、住民自治への道を切りひらく、画期となるとりくみとなりました。
 同時に、多くの都民は、この経験を通じて、自分たちの要求を実現すること、都民の立場に立った都政を実現するためには、都議会の力関係を変え、都民の代表としての革新知事を実現することが不可欠であることを自覚することになったのです。(卯月はじめ)

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